ブログ管理人

  • 坂本葵 | Aoi SAKAMOTO

管理人のリンク

Amazon

旧かな遣い

2013年5月21日 (火)

【原文】第33話 宣告(一)

 債権者は、取引のある一二の銀行と泰英の乾分關係を除いて徐々に強硬な態度を示しはじめた。もはや、萬事を日疋との交渉に俟たなければならぬと知り、彼らは、あらゆる手段に訴えて、急速な債務の履行を迫つて來た。

 もちろん、そのひとつを打ち棄てゝおいても、事態は容易ならぬ方向に轉廻して行くであらう。第一に、内情の表面化を恐れねばならぬ。信用のあるうちに片づけるといふのが、この道の原則だからである。が、志摩博士の經濟的信用なるものは、世間一般からはともかく、金融方面では、まつたく地に墜ちてゐることがわかつた。

 日疋は、更に博士の英斷を乞い、一挙に不動産の大部を手放して、根本的な整理、つまり生活の最大限度縮小を實行することにした。

 先づ現在使用してゐる鎌倉山の別荘を除いて、他の別荘、家作、農園、その他思惑で買つたそこ此處の土地全部の處理、本郷の邸宅は、これも適當な買ひ手がつき次第賣り拂ふこと、年々きまつて出してゐる諸種の團軆及び個人への寄附金の停止、自家用自動車二台の全廃、病院以外の傭人の大半解雇、等々から手をつけねばならぬ。

 彼は、今朝から本宅の應接間に陣取り、泰彦夫婦に對して、事ここに至つた經緯を詳しく話して聞かせ、さて、最後にかう結んだ。

「志摩一家の危急を救ふために、また老先生の御心痛を輕くするために、もはや、これよりほかに方法はないと思ひます。病院も時機をみて、株式か財團組織にするつもりです。で、この方から、院長とあなたのとこには相當の俸給を差上げることにし、さうなれば、一段落、整理がつくわけです。現在の豫算で、もう既にお馴れになつたことゝ思ひますが、今度は大分思ひきつた削減ですから、よほど覺悟をしていたゞかないと……」

 それまで、うんともすんとも云はず、ぢつと彼の方をにらみつけてゐた泰彦と妻の三喜枝は、この時、同時に口を開いた。

「整理々々つて君は云ふけども、いつたい、僕らの軆面つていふもんはどうなるのかねえ」

「さう簡単に考へて下すつちや困るわ。もう少し目立たない方法がありやしないこと? 誰か有力な人に相談してごらんになつた?」

 泰彦は、そこで急に起ち上つて部屋の中を歩きだした。と、日疋は、そつちへは目もくれず三喜枝の今の言葉に應へて、

「有力な人つていひますと?」

「例へば財閥關係なんかでよ、お父さまのお名前で、少しぐらゐの無理は聴いてくれさうな人が……」

「あると思つてゐました。僕も……。ところが、ないですね、實際は。一と口、十五萬といふ大金を信用で貸してくれてゐる人物がゐますがね。これが、先生を見損つたと言つてるんですから……」

「實家(さと)の父に話してみようか知ら……」

「お話いたしました、もう……。子爵閣下は……苦笑なさいました」

 三喜枝の父は、泰英に若干の恩借があることを、その時日疋に告白したのである。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月21日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、原文通り、旧かな遣い・旧漢字で表記しています。
 詳細はこちら

 
 

2013年5月20日 (月)

【原文】第32話 青葉若葉(十)

 石渡ぎんは、日疋の力を籠めて云ふ「わかつたかい」に、はつきり、「えゝ」と答へたかつたのだが、唇がひとりでにふるへて、どうしても聲が出ない。たゞ、大きくうなづいたものであつた。

 やがて、すしが運ばれ、二人は箸を取り上げたが、日疋は相手におかまひなく、瞬くうちに一皿を平げて、あとは悠々と彼女の食べつぷりを見物してゐた。

「随分お早いのね」

 彼女はやつと三つ目を食べ終つたとこだから、これにはあきれた。

「あゝ、僕は、飯は早いよ。腹へ入れさへすればいゝんだから……」

 ぢろゝ見られてゐるのはいやだが、このひとの前で氣取りは無用だと思ふと、やつと箸の運びも活潑になつた。

「それで、どうだい、早速訊くがね、醫者仲間の対立關係といふか、まあ、各部のにらみ合ひだな、それがあることは聞いてるんだが、君たちの氣がついてることで、直接僕の参考になるやうなことはないかね?」

 日疋は、切り出した。

「さあ、さういふことで、なにかあるつてことはわかりますけど、例をあげるとなると……。でも、あたくしたちの眼には、先生がたで仲のいゝ方なんてないと思ひますわ。うはべでは調子を合はせてらしつても、蔭ではきつとお互に輕蔑してらつしやるやうに見えますわ。現に、外科の方では部長先生以外の先生方は、レントゲンを取るのに、わざわざ患者さんをよその病院へおまはしになるんですもの。――うちのレントゲンは駄目です、なんて、公然とおつしやつてますわ」

「駄目なのかね、ほんとに……?」

 日疋は、意外な顔をした。

「あたくしたちにはよくわかりませんけど、やつぱり感情問題ぢやないかと思ひますわ。そばで伺つてゝ、いやあな氣がいたしますもの」

「そりやさうだらう。部長はそれでも、そこは心得てゐるんだね」

「えゝ、部長先生は、とても、病院のためを考へてらつしやいますわ。その點では、ほかの先生がたは随分無責任なんぢやないかと思ふんですの。ぐつと若い先生がたは、こりや別ですけれど……。ご自分の研究が主ですし、俸給だつていくらもお取りにならないし……」

「おい、おい、そんなことまで君たちは知つてるのかい?」

「たいがい見當がつきますわ、そりや……」

「笹島君が院長のお嬢さんをねらつてるつていふのは、ほんとかい……」

 突然そんなことを云ひだした日疋の顔を、ぎんは不思議さうに見直した。

「誰からお聞きになりましたの?」

「誰でもいゝよ。笹島君つていふのはどんな人だい? 君たちの受けはいゝの?」

 さういふ噂の出どころについて、ぎんはまつたく見當がつかなかつた。たゞ啓子の指の傷を最初に診て簡単な手當をし、隔日の捲替にちよいちよい顔をみせて、二言三言口を利いてゐる様子では、別にこれと云つて變なところはない。

 笹島醫學士は、看護婦仲間の鼻つまみであつた。高慢でキザだといふ定評なのである。

 が、ぎんの頭のなかを、いま渦巻いてゐるひとつの幻影は、この間自殺した堤ひで子と、彼笹島との、自分以外には誰も知らない關係であつた。

 咄嗟に、ある激しい感情に襲われた彼女も、しかし、そのことだけはまだ日疋の耳に入れるのは早いと氣がついた。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月20日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、原文通り、旧かな遣い・旧漢字で表記しています。
 詳細はこちら

 
 

2013年5月19日 (日)

【原文】第31話 青葉若葉(九)

 横濱を通る頃には、ぎんはもうすつかり啓子のことは忘れてゐた。

 それにしても、何時かのことがあつて以來、はじめてかうして口を利くのに、日疋が、病院のことをちつとも云ひ出さないのはどういふわけであらう。あの時、いろんなことを訊かれたけれども、個人の問題に觸れるやうなことは、なんとしても返事をする氣にならなかつた。それが、今なら、どんなことでも、進んで答えられるのに――さう思ふと、彼女は、少し寂しかつた。

 ところが、いよいよ新橋へ來ると、日疋は、いきなり起ちあがつて、ぎんに云つた。

「君に少し訊きたいことがあるんだが、差支なかつたら僕の家まで來てくれないか? そのへんで食事をしてもいゝんだけど、人の目がうるさいからね」

「えゝ、よろしうございますわ」

 彼女は、胸ををどらせながら、一緒に席を起つた。

 タクシイで何處をどう通ったか覺えてはゐない。

 降ろされたところは、暗い路地の中であつた。が、標札に日疋とあつたことだけはたしかである。

「たゞ今……。お客さんを連れて來ましたよ」

 彼のあとについて二階へあがつた。

 入れ違ひに、女がひとり、階段を降りて行つた。――奥さんか知ら、と、振り返つてみたが、もうその姿は見えなかつた。

 彼女は、急に不安な氣持になりあたりを眺めまはした。別に立派なといふほどの座敷ではなかつた。細かく氣をつけると、寧ろさむざむとしたもの、間に合せの住ゐといふ感じが、建具や装飾品のどれにもみえた。

――主事さんなんて、そんなに月給をもらつてないのか知ら?

 すぐにこんな考へが浮んだ。

「さあ、もつと眞ん中へ坐りたまへ。腹が空いたらう。いますしでも取るから」

 そこへ、さつきの婦人が茶を運んで來た。紹介されて、それが彼の嫂だとわかると、また彼女はどぎまぎした。が、今度は、すぐに平静をとり戻し、隣の部屋で日疋が洋服を脱いでゐるらしい物音に耳をすました。

 和服に着替へて出て來た彼は、まるで別人のやうに若く見えた。すると、その調子まで書生つぽのやうな氣軽さで、

「そんなに固くなるのよせよ。今日は友達として話すよ。君もさうしてくれ。もうだいぶん仲善しになつたからな」

 その言葉を言葉どほりに受けとることは容易であつた。彼女はちよつと膝を崩す眞似をし、片手を畳について、指で代る代る拍子をとつてゐた。

「僕はね、君を見込んで、今日は、ひとつ、重大な役目を仰せつけるよ。いゝかい、よく聴きたまへ。これはむろん、誰にも秘密だ。二人の命にかけてその秘密は守らなくつちやいかん。君は、今後、僕の腹心になつた働いてもらひたいんだ。腹心つて、なにかわかるかい? 心を許せる味方だ。といふ意味が、僕の仕事はだね、これやなかなかむづかしい仕事で、場合によつては誰彼を敵に廻さなけりやならんのだ。それが敵とわかれば、文句はない。一刀兩斷さ。しかし、そいつがうつかりするとわからんのだよ。今、あの病院は、君の云ふとおり、乱脈さ。大手術が必要だ。一日遅れゝば一日黴菌がはびこるといふ状態だ。むづかしいことは云はない。君はたゞ、君の接してゐる範囲内でこいつは病院のためにならんと思ふ人間の名前を、そつと僕の耳に入れてくれゝばいゝんだ。わかつたかい?」

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月19日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、原文通り、旧かな遣い・旧漢字で表記しています。
 詳細はこちら

 
 

2013年5月18日 (土)

【原文】第30話 青葉若葉(八)

 石渡ぎんは、ひとりで江の島の海岸をぶらつき、五時きつかりに大船驛へ戻って來た。なるほど景色はいゝにはいゝが、感嘆の叫びをあげるには連れのゐないことが物足りなく、時々ハツとわれにかへると、こんなことをしてゐていゝのかという風にわけもなく氣がとがめた。

 廣くもない待合室のあちこちへ急いで眼を配つてみたが啓子らしい姿はみえない。

 十分、十五分と、遠慮なく時間がたつた。

 時間がたつにつれて、啓子と自分との間に妙な距りが感じられた。

 彼女は、無我夢中で切符を買ひ、丁度そこへ着いた上り列車へ飛び込んだ。

 と、すぐ眼の前で夕刊を讀んでゐた男が、前の席へのせてゐる足をおろして、

「なんだ、君か、まあ掛けたまへ」

 帽子をかぶつてゐるので、すぐにはわからなかつたが、彼女は、それが日疋祐三だと氣がついて、思はず、

「あらッ」

 と、大きな聲を出した。

「はゝゝそんなに驚くことはないさ。今日は休み?」

「はあ」

 やつとさう返事をしたゞけで、彼女は、もう顔をあげてゐられないほど眞つ赤になつた。

「そこ、空いてるんだよ。誰かと一緒なの?」

 日疋は更に訊ねた。

「いゝえ。……」

 口のなかで云つて、彼女はそつと彼の前へ腰をおろした。

 下手に羞んでゐるやうに思はれるのはいやだが、どうすることもできない。しかし、それも瞬間のことで、だんだん落ちつきを取りかへすと、彼女らしい機轉で、まづ顔をぐいとあげ、目立つほどの溜息といつしよに、自分で自分を可笑しがるやうに笑ひだした。

 日疋もつりこまれて、しぶしぶ相好をくづし、

「なにが可笑しいんだ? こつちに家でもあるの?」

 と、急に、眞顔になつた彼女はそれこそ行儀のいゝ小學生のやうな物腰で、

「いゝえ。あたくしの家なんて、病院の寄宿舎以外にございませんわ」

「ふむ、さういふひともゐるんだね」

 彼は、感心したやうに首をふつた。が、その、ぶしつけな視線を避けようともせず、彼女は、上目使ひに、相手の表情からなにか打ち融けたものを讀みとらうとしてゐた。

「先生はどちらへいらつしやいましたの?」

 やつと、それだけのことが云へるやうになつた。

「僕? いや、ちよつと清水のそばまで用事があつてね。昼すぎに院長の別荘を出て、一時何分からの下りだ。忙しい旅行さ」

「まあ、ほんとに……あたくしたち、二時ちよつと前に大船へ着きましたの。入れ違ひでしたわね」

「へえ、君も鎌倉山かい?」

「いゝえ、あたくしは江の島見物……院長先生のお嬢さまと途中までご一緒でしたわ」

「ふうん……啓子さんね」

 その話はそれきりであつた。

 やがて、日疋は、農園から土産に貰つて來たといふ苺の箱をあけ自分がまづひとつ口へはふり込みぎんにも薦めた。

「うまいだらう」

 催促をされて、彼女は、たゞ、眼を細くした。雄弁な味ひ方だと彼は思つた。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月18日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、原文通り、旧かな遣い・旧漢字で表記しています。
 詳細はこちら

 
 

2013年5月17日 (金)

【原文】第29話 青葉若葉(七)

 玄關をあがると、女中頭のしまが、

「おや、お嬢さま、ちやうどよろしいところへ……旦那さまがついさきほどから急に……」

「えッ? おわるいの?」

 と、啓子は、奥へ駆け込んだ。

 父の泰英はなるほど寢台(ベッド)の上に横になつてゐたが、傍の母とあたり前に口を利き、啓子がはいつて行くと、

「どうしたんだ。今日は來ない筈ぢやなかつたのか」

 さう云ひながら、眼じりに皺をよせて、思つたほどの容體でもないらしかつた。

「いかゞ? しまやがおどかすもんだから、びつくりしたわ。お熱がおありになるの?」

 啓子は、それでも、なるたけ静かに話しかけた。

「もうなんでもないよ。かうしてるとをさまるんだ」

「お晝前に日疋さんが來てね、お晝を一緒に召しあがつたの。ついさつき、日疋さんが歸ると、すぐよ、あゝ疲れたつておつしやるから、あたしが寢台(ベッド)へお連れしようとしたら、その場で召しあがつたものをもどしておしまひになつたの。お苦しさうでね、あたし、どうしようかと思つた。ご自分ぢや、それほどでもないつておつしやるんだけど……」

 母の瀧子は、應援が來たのでほつとしたらしく、ひとりでまくしたてた。

「もう、よろしい、そんな話はせんでも、……しばらく眠らしてくれ」

 やがて鼾が聞こえだした。二人は次の部屋へ引きさがつた。そこは父の書斎と客間とを兼ねた廣い部屋で、テラスから庭へ降りられるやうになつてゐる。

「どういふんだらうね、一度ちやんと誰かに診察しておもらひになるの、おいやか知ら……あたしのみるところぢや、ただの胃腸ぐらゐぢやないと思ふね」

「お母さまが氣をつけてらしつて詳しい容體を金谷さんかなんかに話してごらんになつたら?」

「それは、云はれなくつてもしてるんですよ。あの先生も頼りない先生でね。からだをさはつてみなければなんとも云へないつておつしやるんだもの……」

「お父さまは、どうしてそんなに意地をお張りになるの。家族のものが心配するつてことぐらゐおわかりにならないか知ら……」

「二たこと目には、――わしは醫者だぞ、しかも、わしより見たてのうまい醫者がゐると思ふか、かうなんだから……」

「そこを、お母さまのお口で、なんとか説き伏せなくつちや駄目ぢやないの」

「あら、そんなら、あんたやつてごらんよ」

 こんな風な話は、今にはじまつたことではなく、おまけに、こいつは切りがないのである。

「とにかく、日疋さんが來なさるのはいゝけど、お話がやゝこしいとみえて、いつもあとで大義さうなご様子なんだらう。あたしも氣が氣ぢやなくつてね。もう家の財産なんかどうなつてもいゝから、しばらくお父さまをそつとしといてあげたいよ」

 滅入るやうに黙りこんでしまつた母を、啓子はどう慰めていゝかわからない。

 二三度、父の様子を見に行き、庭へ降りて、芝生の一隅から水平線を眺め、ふと氣がついた時は、もう時計の針が五時を過ぎてゐた。

「あ、しまつたッ」

 啓子は、ぎんとの約束をすつかり忘れてゐたのである。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月17日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、原文通り、旧かな遣い・旧漢字で表記しています。
 詳細はこちら

 
 

2013年5月16日 (木)

【原文】第28話 青葉若葉(六)

 スパイといふ言葉に、啓子は、ちよつと眼をみはつたが、石渡ぎんは、急に調子をかへて、

「きれいね、お庭が……。鎌倉の方へは時々いらつしやるの?」

 と云つた。

「えゝ、土曜から日曜へかけて大概行くわ。昨日は、でも、先生のお宅で集まりがあつて夜おそくなつちやつたもんで……。丁度よかつたわ」

「あちらではお待ちになつてらつしるんでせう?」

「うゝん、電話かけといたから、大丈夫。それに、近頃は、臨時にちよいちよい顔を出すから……」

「院長先生のご病氣はどんな風か知ら?」

 誰云ふとなく、病院では、院長先生は胃癌だといふ評判がたつてゐたが、石渡ぎんはそれをたしかめる勇氣はどうしてもなかつた。

「わりに元氣よ。ずつと寢てゐられないくらゐですもの。たゞ、目に見えてよくならないのが、ぢれつたいわ。自分がお醫者だと、からだより病氣の方を大事がるみたいなところがあつて……」

 啓子は、ほんとにさう思ってゐた。が、それを洒落ととつて、ぎんは、にらむ眞似をした。

やがて晝になつた。歸るといふのを無理に引止めて一緒に食事をした。

 それから、二階のホールでレコードをかけて聴かせ、讀みたいといふ本を出して來てやり、バルコニイへ椅子を並べて、めいめいに讀みはじめた。

 石渡ぎんは、しかし落ちつかぬ様子であつた。

 場所に馴れないせゐもあらう。が、それよりも、彼女の心がもうこゝにないのである。

「志摩さん、どつかへ行かない? 少し歩いてみない?」

 一時間もたゝないうちに、彼女は、書物をテーブルの上へ伏せた。

「さうしてもいゝわ。どこ、行くとすれば……? 銀座?」

「どこだつていゝのよ。できるだけ遠くへ行つてみたいわ。今夜帰れさへすれば……」

 啓子は、この提議に應じて勢ひよく起ち上がつた。

「ちよつと待つてね、支度して來るから……」

 二人は東京驛から横須賀行へ乗つた。三等車は相當込んでゐたけれども、二人の席は樂にとれた。

「胸がどきどきするわ、かうして、旅行するんだと思ふと……」

 ぎんは子供のやうに眼を輝かし、かはるがはる左右の窓を見た。

「あら、これが旅行? 大船までぢや可哀さうね」

「そんなことないわ。大船なんてあたしたちには思ひつかないわ。歸りに時間をきめといて、驛でお會いすればいゝわね」

「どうしても寄らないつておつしやるなら、それでもいゝわ。あたしは、ちよつと家をのぞいて來ればいゝんだから……」

「でも、折角……」

「いゝのよ、いゝのよ……。明日學校があるから晩はどうせ泊まれないんだし、歸りは銀座でランチでもたべませう」

 それで、大船へ着くと、五時まで自由行動をとることにし、啓子は、途中でバスを降りた。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月16日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、原文通り、旧かな遣い・旧漢字で表記しています。
 詳細はこちら

 
 

2013年5月15日 (水)

【原文】第27話 青葉若葉(五)

 日疋にお説教をされたことが、まんざらでもないやうなところを、石渡ぎんは、そのうつとりとした眼つきにみせて、啓子を唖然とさせた。

「で、あたしに相談つて、どんなこと?」

 啓子は、チヨコレートの銀紙をむきながら浮き浮きと訊ねた。

「ご相談つていふと大袈裟だけど、いつか病院のことでいろいろお話したいことがあるつて言つたわね。なんかの序に、院長先生のお耳に入れておいていただかうと思つてなの。それが、ほら、今度、主事さんつて方が病院のことを一切お引受けになつたんでせう。だから、うるさい問題をご病氣の院長先生にいち〱お聞かせすることはないと思ふわ」

「あゝ、さう……ぢや、あなたから直接、主事の日疋さんにおつしやつて下さるつてわけね」

「うゝん、ところが、あたしの口からは、そんなこと云へないのよ」

「あら、どうして……? さつき、なんでも平氣で云へるつておつしやつたぢやないの」

「そりや、云はうと思へば云へるわ。だけど、事柄が事柄でせう、變に取られるといやだから……。まるでお世辞つかつてるみたいで……」

「病院のためになることなんでせう。堂々とおつしやればいゝぢやないの」

「えゝ、人の名前を出さなくつてもよけりやね……。どうせ、そこまで喋らないと氣がすまないんですもの。あたしの身分つてことを考へると、少し、出しや張りすぎるやうに思つて……」

「さうか知ら……。なんなら、兄とお會はせしてもいゝわ。兄の知らないことだつてあるんでせうから……」

「駄目よ、そりや……。若先生はあたしたち看護婦のためにいろんなことして下さるんだけど、妙にピントが外れてるのよ。おまけに……。あ、よさう、早速悪口になつちやつた……」

「なによ、ちやんとおつしやいよ。あたしが聞いて悪いこと?」

「あんまりよくもないな。云つちまはうか知ら……。これだけは絶対秘密よ、実は、かういふ噂があるのよ、若先生と皮膚科の都留先生との間に黙契があつて、あの病院を都留先生一派で乗り取らうとしてるんだつて……。今、内科が振はないでせう。だもんだから、誰か顧問に大家を一人連れて來ようつていふことになつたらしい。院長先生はそれに反對なすつてらつしやるんですつてね。ところが、都留先生には意中の人物が一人あるのよ。誰だとお思ひになる? 遠山博士……ご存じでせう? 都留先生の伯父さんに當る方……。大きな看板だわ、こりや……」

 かういふ事情に通じてゐることは、いくぶん彼女らの誇りででもあるやうに、石渡ぎんは、そのくびれた頤をつきだして、いつ時相手の返事を待つた。

「あたしにはさういふことさつぱりわからないけど……それがどんな結果になるつていふの?」

 この頼りない反應に、ぎんはちよつと焦れるやうなかたちで

「ごめんなさい。あなたにこんなことお聞かせしてもしやうがないわ。どら、思ひきつて、あたし、スパイにならうかな……」

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月15日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、原文通り、旧かな遣い・旧漢字で表記しています。
 詳細はこちら

 
 

2013年5月14日 (火)

【原文】第26話 青葉若葉(四)

「學校時代にたつた一度、お宅へ伺つたことあるわ、多勢で……」

 石渡ぎんは、あたりを見廻すやうにして云つた。

「お節句だつたわね」

「いゝえ、お兄さまがおうつしになつた十六ミリを見せていたゞきによ。みんなが行くつていふから、あたしも何の氣なしについて來たの。そしたら……」

「そしたらどうしたんだつけ?」

「お家があんまり大きいんでびつくりしちやつたの。それと、お母さまがやさしいお母さまで、あたし、なんだか歸りたくなくなつたこと覺えてるわ」

「ほんと、さう云えば、あなた、あの頃からお兩親がおありにならなかつたわね」

「兩親も同胞もないのは、あたしきりだつたわ。でも、今のやうな仕事には、その方がいゝんだつて氣がするのよ。結局、自分つてものを考へちやゐられないんですもの……」

 さういふことを、サバサバとした口調で、なんの誇張もなく云ふ、それが啓子には氣持がよかつた。

 八畳の日本間に、机椅子をおいて、本箱を飾つて、簡素ながら女學生の書斎といふ趣がたゞ色彩のなかに示されてゐるだけであつた。開け放された縁の障子に、ぽたりとインキの汚點(しみ)がついてゐる。

「こないだのお話、あれつきりになつちやつて……。どう、今度來た主事つてひとは? あたしはまるで知らないつて云つていゝんだけど、評判わるかない?」

 啓子は、共通の話題を探さなければならぬ。

「實はね、そのこともあるんだけど、あなたに御相談があつて來たのよ。病院のなかは、いま大變だと思ふわ。あの方がいらしつたのはそのためだらうとは思ふけど、下手をすると却つて始末のつかないものになりさうよ。主事さんて方、あたしは立派な方だと思ふの。院長先生は、やつぱりあゝいふ人物に目をおつけになるんだなと感心したわ。でも、ほかの人から見るとどうか知ら……? 看護婦たちは、まあいゝのよ。先生方のうけが少しどうかと思ふわ。殊に、外科のある先生が大きな聲で悪口を云つてらつしたのを、あたし聞いたから……」

「ちよつとお醫者さんとは合ひさうもないわね。ガツチリ屋なんですつて?」

「さう見えるわね。でも、話のとてもよくわかる方だと思ふわ。あたし、ちよつとお話しただけだけど、理屈さへ通れば、この人の前で何を云つても平氣だつて氣がしたわ。そんな風に頼もしいところがあるの……」

 さう云つて石渡ぎんは、心もち頬を染めたのを啓子は見逃さなかつた。

「へえ、フアンもあるわけね」

 啓子は、すかさず冷やかした。

 が、ぎんは案外平氣で、

「こないだ、堤つていふ看護婦が自殺したの、ご存じ?」

「えゝ、聞いたわ。新聞にも出てたつて……」

「あたしの親友なのよ、それが……。動機はもちろん単純なもんぢやないわ。婦長に叱られてなんて新聞に書いてあつたけど、やつぱり戀愛の悩みからだつてことは、あたしにはわかつてるの。うん、まあ、それやどうでもいゝけど、その事件で、主事さんのところへ、あたし出かけてつて談判したのよ。さんざん、逆にお説教されちやつた」

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月14日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、原文通り、旧かな遣い・旧漢字で表記しています。
 詳細はこちら

 
 

2013年5月13日 (月)

【原文】第25話 青葉若葉(三)

  かうして、この二人は、どんなことがあつても正面からぶつかるといふことはないのである。それも、どつちが相手をすかすといふわけではなく、お互の性格、氣質の特別な組合わせが、自然に相犯さざる關係を作つてゐるらしく、それだけに、親しいのか、他人行儀なのかわからないやうなところもある。

 三喜枝の、例によつて羽目をはづす癖を、啓子はそれほど苦々しくは思はず、却て、それはそれで面白いといふ風に眺めてゐた。

 と、そこへ、啓子にと云つて電話がかゝつて來た。

「あたしぢやないの?」

 と、三喜枝は念を押して、つまらなさうに口を尖らした。それへ、女中は、

「よくお聲が聞こえませんのですが、女の方で、イシワタとかニシワタとかおつしやいましたやうでございます」

「イシワタなんてひと、知らない、あたしは……。誰よ、啓ちやん」

「あゝ、わかつた……石渡(いしわたり)ぎんさん……。あとでお話するわ」

 と、啓子はホールを抜けて階段を駈け降りた。

 電話口で、

「もし、もし、あたし啓子……。しばらく……ぢやなかつた、昨日は、失禮……。えゝ、なんともないわ。繃帯、もうとつてもいゝんだけど、でも、指の色が變になつちやつたから、どうしようかと思つて……。あら、さう、いゝわねえ……。うゝん、家にゐるわ。……うん、それでもいゝけど、なんなら、すぐいらつしやいよ。……いやだわ、そんな……大丈夫よ、だあれもゐないから……。ぢや、お待ちしてるわ」

 三喜枝は、石渡ぎんが何物であるかを知つて、

「へえ、そんなひとがあの病院にゐたの。でも、よく遊びに來る氣になつたわ」

「どうして?」

「どうしてつて、今の身分でさ。大概遠慮しさうなもんだわ」

「だつて、あたしが遊びにいらつしやいつて云つたんですもの。それに……」

 と、云ひかけて、啓子は、この嫂にこれ以上のことを喋る必要はないと氣がついた。

 いつか病院の歸りがけに、電車道まで送つて來ながら石渡ぎんが話しかけた話を、さう云えばその後つゞけて聴く折がなかつた。一日おきに病院では顔を合わせてゐながら、向うもちやうど忙しいらしく、こつちもつい、話を引出す便宜がないやうなわけで、そのまゝになつてゐたのを、多分、彼女はもう待ちきれずに、今日やつて來るのであらうと、啓子はとつくに察してゐた。

 で、ぎんが來ると、早速、自分の居間へ通して、

「ようこそ……。さ、ゆつくりなすつてちやうだい。やつぱり、さうしてらつしやると昔の通りね。白い服も立派だけど、その方がお話がし易いわ」

 と、彼女は、舊友石渡ぎんのキリゝと結んだ帯へやはらかに微笑みかけた。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月13日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、原文通り、旧かな遣い・旧漢字で表記しています。
 詳細はこちら

 
 

2013年5月12日 (日)

【原文】第24話 青葉若葉(二)

――あなたと一緒にゐれば誰も退屈はしない、といふ意味は……? むろん、嫂の言葉に皮肉が含まれてゐる筈はなく、啓子は、それをまた皮肉と取るやうな風をする女でもなかつた。至極あつさりと受け流して涼しい顔をしてゐられる得な性分であつた。

「ねえ、啓ちやん、それよりね、あなた近頃病院へ行つて、あの日疋つていふ男に會はなかつた?」

 手摺へもたれたまゝ、三喜枝は、彼女の方へからだをねぢ曲げた。

「會つたわ。どうして?」

「昨日あなたの留守に家へ來たのよ」

「さうですつてね」

「あらもう聞いたの?」

「君やがさう云つたわ。あの方は一體どういふ方でございますかつて、さも不思議さうに訊くから、あたし、をかしくつて……」

「だつて、変つてるぢやないの。ちよつと家へ出入する人んなかで類がないわ。恰好が第一、運動選手の親分みたいでさ。横柄かと思ふと、いやに慇懃なとこもあつて、こつちは面喰ふわ。面喰ひもしないけど、取扱ひに不便だわ。兄さまから伺つてたから、まあ、見當はついてたけど。……お父さまも、また、なんだつて、あんな男に家のことをお委せになつたんでせう」

「それだけの腕があるとお思ひになつたんだわ、きつと……。わかりやしないけど……」

「ねえ、わかりやしないわよ。てんで、あたしたちの生活なんていふもんに理解がなささうよ。どんな風に切り廻すにしても、それを心得てゝくれなけりや、他所とのお交際(つきあひ)ができなくなるぢやないの」

「でも、あの人、そんなことまで干渉するか知ら?」

「まあ、呑氣なこと云つてるわ。あたしたちの生活費は、これからいくらいくらつてきめられちやつたのよ」

「せんからきまつてたんぢやないの?」

「大體はね、でも、要るだけのものはどつか知らからはひつて來たけど、今月からは、豫算を超過したら翌月分から差引くつていふわけなの。まるで、安サラリイマンの暮らしよ。その代り、支拂萬端のことは、あの人が直接やつてくれるんですつて……」

「呑氣でいゝぢやないの」

「兄さまはかう云つてらつしやるわ――なに、どしどし買ふものは買ひ込んで、あいつに拂はしてやれ。拂へなくなつたつてこつちの責任ぢやないつて……」

「それも一案ね。でも、あとで困るのはやつぱりこつちなんでせう?」

「現金で買はなけりやならないものが、ちよつとね、それだけが不便よ」

「あたしは、まあ、そんなに不便はないけど……」

「いゝわね、鎌倉山へ行けば、さあさあ持つておいで、だから……。少し、こつちへ廻しなさいよ」

「えゝ、いくらでも……」

と、啓子は、眞顔で云つた。それが可笑しいと云つて、三喜枝は、キヤツキヤツと笑つた。

 植込のつゝじの肉色に咲き亂れたなかを、どこかの猫が一匹、忍び足で逃げて行つた。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月12日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、原文通り、旧かな遣い・旧漢字で表記しています。
 詳細はこちら

 
 

その他のカテゴリー