第45話 歌わぬ歌(四)
自分の部屋へ帰ってから、日疋は更(あらた)めて給仕に笹島を呼ばせた。
「なんかご用ですか?」
どの程度に頭をさげるべきかを医者の方で迷っているというのが普通であった。なかには、率直に話しかけるものもあったが、どうかすると、警戒をおもてにみせながら、強いて威信を保とうとする手合などもあり、これはしばしば不作法でさえもあった。そういうなかで、笹島医学士は、極めて事務的な態度で彼に接しておたと言っていい。
「やあ、こりゃどうも……。およびたてして……。まあ、おかけになって……。実は、たった今、院長の奥さんからお電話でしてね、先生のご容態が少し変だから、あなたにもそのことをお伝へしてくれといふことでした。金谷先生が早速おいで下さることになっていますが外科部長にも立会っていただいたらということで、これは、金谷先生からお話し下さる筈です。それから……」
と、日疋は、そこまでをひと息に言って、相手の表情を見まもった。
「ああ、そうですか。まだ急なことはない筈なんだが……。じゃ、とにかく、僕も行ってみましょう。ええと、一時半ですな」
腕時計をじっとみながら、笹島はなかなか顔をあげない。
「啓子さんにも早く帰られるようにっておことづけですから、学校の方へ電話をかけてみましょうか?」
日疋は、そう言ひながら、片手を卓上電話の方へ伸ばした。
「いや、もう。今日は学校はすんだ筈です、ちょっと寄り道をして四時頃こっちへ来ることになってますから……」
この落ちつき払った返事に、日疋は、やや興ざめの態で、
「じや、お待ちになりますか」
と、ぼんやり窓の方をみた。
すると、笹島は、急に起ちあがって、
「大丈夫ですよ、そんなに慌てることはありませんよ。二三日前僕が会った時は、相当元気に話をしておられたから……」
「へえ、そういうもんですか? 一日でどうこうというようなことはないんですね。胃癌だっていう説は、先生、どうお思いになります?」
しらばくれて、彼は訊ねた。
「まあ確かでしょうね。僕らはそう信じてますよ。院長がみんなにそれを隠しておられるお心持は想像できますがね。ご自分では、あと二月と見ていられるらしいです。ですから……」
日疋は、泰英の言った言葉どおりを、この笹島が言うのをみて、流石は医者だなと感心した。
「式を七月早々挙げられるというのもそのためですね」
と、彼は、はじめてわかったという風に、いくどもうなづいてみせた。が、実は、そんなことよりも、彼は、この笹島という男の正体を見届けておきたかったのである。
泰英の余命がいくばくもないこと、しかも、その病気が、体質的に遺伝すると言われる胃癌であること、それを知って、なおかつこの縁談が進められているのだとしたら、笹島の啓子に対する心の傾きは相当なものと考えねばならぬ。
それなら、今度は、志摩家の財産が殆ど零に近くなり、この病院の経営もやがて志摩家の手を離れるであろうという事実を教えるものがあったら、彼はどんな顔をするであろう?
(初出:「東京朝日新聞」, 1938年6月2日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、読者の便宜をはかり、現代かな遣いに改訂しています。
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