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  • 坂本葵 | Aoi SAKAMOTO

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現代かな遣い

2014年12月 8日 (月)

第45話 歌わぬ歌(四)

 自分の部屋へ帰ってから、日疋は更(あらた)めて給仕に笹島を呼ばせた。

「なんかご用ですか?」

 どの程度に頭をさげるべきかを医者の方で迷っているというのが普通であった。なかには、率直に話しかけるものもあったが、どうかすると、警戒をおもてにみせながら、強いて威信を保とうとする手合などもあり、これはしばしば不作法でさえもあった。そういうなかで、笹島医学士は、極めて事務的な態度で彼に接しておたと言っていい。

「やあ、こりゃどうも……。およびたてして……。まあ、おかけになって……。実は、たった今、院長の奥さんからお電話でしてね、先生のご容態が少し変だから、あなたにもそのことをお伝へしてくれといふことでした。金谷先生が早速おいで下さることになっていますが外科部長にも立会っていただいたらということで、これは、金谷先生からお話し下さる筈です。それから……」

 と、日疋は、そこまでをひと息に言って、相手の表情を見まもった。

「ああ、そうですか。まだ急なことはない筈なんだが……。じゃ、とにかく、僕も行ってみましょう。ええと、一時半ですな」

 腕時計をじっとみながら、笹島はなかなか顔をあげない。

「啓子さんにも早く帰られるようにっておことづけですから、学校の方へ電話をかけてみましょうか?」

 日疋は、そう言ひながら、片手を卓上電話の方へ伸ばした。

「いや、もう。今日は学校はすんだ筈です、ちょっと寄り道をして四時頃こっちへ来ることになってますから……」

 この落ちつき払った返事に、日疋は、やや興ざめの態で、

「じや、お待ちになりますか」

 と、ぼんやり窓の方をみた。

 すると、笹島は、急に起ちあがって、

「大丈夫ですよ、そんなに慌てることはありませんよ。二三日前僕が会った時は、相当元気に話をしておられたから……」

「へえ、そういうもんですか? 一日でどうこうというようなことはないんですね。胃癌だっていう説は、先生、どうお思いになります?」

 しらばくれて、彼は訊ねた。

「まあ確かでしょうね。僕らはそう信じてますよ。院長がみんなにそれを隠しておられるお心持は想像できますがね。ご自分では、あと二月と見ていられるらしいです。ですから……」

 日疋は、泰英の言った言葉どおりを、この笹島が言うのをみて、流石は医者だなと感心した。

「式を七月早々挙げられるというのもそのためですね」

 と、彼は、はじめてわかったという風に、いくどもうなづいてみせた。が、実は、そんなことよりも、彼は、この笹島という男の正体を見届けておきたかったのである。

 泰英の余命がいくばくもないこと、しかも、その病気が、体質的に遺伝すると言われる胃癌であること、それを知って、なおかつこの縁談が進められているのだとしたら、笹島の啓子に対する心の傾きは相当なものと考えねばならぬ。

 それなら、今度は、志摩家の財産が殆ど零に近くなり、この病院の経営もやがて志摩家の手を離れるであろうという事実を教えるものがあったら、彼はどんな顔をするであろう?

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年6月2日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、読者の便宜をはかり、現代かな遣いに改訂しています。
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2014年6月 3日 (火)

第46話 歌わぬ歌(五)

 そこまで気を回す必要はあるまいと思いながら、日疋が、なんとなくこの彫像のように取り澄ました顔へ、おやと驚くようなニュースをぶつけてやりかたった。

 が、鷹揚に首をかしげて挨拶を送り、靴音を高く響かせて部屋を出て行く笹島医学士の後姿を見送りながら、

「これなら、まず及第だ!」

 と、心のなかで叫んだ。それは、忌々しく、しかも晴れ晴れとした気持であった。

 笹島と入れ違いに、婦長に連れられて二人の看護婦がはいって来た。

「では、只今からこの二人を院長先生のお宅へ伺わせます。なにかご注意でも……」

 婦長は、厳粛なお辞儀をした。

「あ、そう、どうもご苦労さん……。僕からは別に言うことはないが……。まあ、しっかりやって来てくれたまえ。お世話になった院長先生の看護をするなんて、君たちとしては千載一遇だ、名誉とかなんとかは問題じゃない。親身になってあげられれば申分ないな。じゃ、行ってらっしゃい」

 石渡ぎんの視線が、ちらと彼を見あげた。もの言いたげな視線であった。彼は素気なく眼をそらして、くるりとデスクの方へからだを捻じ向けた。

 扉(ドア)のしまる音がした。

 彼は、溜息をついた。石渡ぎんを、もうこれ以上自分のそばへ寄せつけてはいかんなと思った。はじめは不用意に、一本気の彼女を、悪く言へばおだてて使おうとしたに過ぎぬ。ところが、最近では、其(その)信頼が別な感情に昂じて来ているのを、更に有効に利用していたと言えないだろうか? たしかに、そうなのである。この点、彼は、今となってなんと弁解のしようもないが、また、一方、それを自分の責任だとも思えぬ領域があって、ひとりでにおかしさがこみあげて来る。なぜなら彼は意識的にこの少女の歓心を買った覚えは絶対にないからである。なるほど時たま、身分の隔たりを無視して、仲間のような口の利き方をしたり、ほかの看護婦には見せないような私生活の一端をのぞかせたりしたことはある。しかし、彼女のために特別な将来を約束し、または、個人的な利益を計るようなことは主義としてしないつもりでいた。まして対手(あいて)の、こっちを信じきった、どうかすると、隙だらけの人懐っこさに、微笑をもって酬いることさえ思いつかなかったくらいである。ひと口に言えば、この女の盲目的帰依(ファナチスム)は、彼の心臓を素通りしてしまったことになる。いったい、これでいいのであろうか?

 彼は、そこで、彼女の美点を数えあげる。まず性質はどうかというと、あくまでも単純である。素直である。従って、その勝気は、陽性で、服従の快感を知ることと矛盾しない。この年頃の女には珍しく、世間を識っているようなところがあり、若干、センチメンタルではあるが、それは寧ろ、彼女自身の精神的粧いのようなもので生れつきの荒々しさ――野生に類するものを巧みに緩和しているらしくみえる。

 容貌について、彼は、正確な印象を頭のなかへ組み立ててみる。色が飛びぬけて白いという以外、どうと言って纏りのつけにくい顔である。見る度に中心の違う顔というのがあれば、まさにこの女の顔であらう。時には二重瞼で大きく瞬きをする訴えるような眼つきに気をとられ、時には、反りかえった上唇の無心な動きのみが心を惹くという風であった。なにはともあれ、それだけでも決して醜い女でないことにはなるので、彼もこのぎんという女に対する自分の迂闊な関心を、なんの理由に帰していいかわからなかった。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年6月3日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、原文通り、旧かな遣い・旧漢字で表記しています。
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2014年6月 1日 (日)

第44話 歌はぬ歌(三)

 看護婦がたった一人、向うむきになって、器械の掃除をしていた。

「笹島先生は?」

 日疋の声に、ハッと後ろを振りかえったのをみると、それは石渡ぎんであった。

「あ、たった今までここにいらしったんですけれど……医局の方じゃございませんかしら……見て参りましょうか」

「よろしい、僕が行く」

 扉(ドア)を閉めようとすると、いきなり、ぎんはそこへ走り寄って来て、

「あたくし、お願いがあるんです。もう、とても苦しくって、我慢できませんわ。せめて附添の方へでも回していただけません? 先生方が、なんだか、変な眼でごらんになるような気がしてしかたがありませんの。別に勘づかれるようなことはないと思いますけど、自分で先生方のお顔をみる度に、ドキッとするんです」

 顔は伏せたままではあるが、胸にあまる感情をこめた、激しい口調であった。

 日疋はいっ時、黙って、彼女の肩先を見つめていた。が、静かに、笑いをふくんだ声で言った。

「うむ、おかしいね、そりゃ……。君はなんにも疚しいことをしてやしないじゃないか。自分の利益のために秘密を売るような行為とは全然違うんだ。そのことは、もう再三、僕も言ったつもりだが……しかし、君がいやだというなら、無理には頼まないよ。それに大体のことは、見当がついたから……」

 すると、彼女は、恨めしげに彼を見あげて、

「いえ、あたくし、決していやだとは申しませんわ。それどころでなく、自分の考えが少しでもお役にたつのかと思うと、うれしくって、うれしくって、早くそれをお耳に入れたいばかりに、肝腎の仕事が手につかないくらいなんですわ。でも、その後が、どういうわけか、人に顔を見られるのが怖いようなんです。ひとりっきりで、何処か暗がりにでもじっとしていられたらと思ふことがよくありますわ。それはなぜだか、自分にもわかりませんの」

「わかった。その話はいずれゆっくり聴こう。それじゃ、どうだい、しばらく院長の附添にでも行くか。今日、看護婦を二人寄越せって言って来てるんだが、事務長にもう人選はきまったかどうか、早速訊いてみよう。まだなら、君を一人いれることにしてもいいから……」

「あら、でも、それはいけませんわ。あたくし、それほどの資格はないと思いますわ」

「資格は僕が認めればいいだらう」

「そんなことなすったら、あとがうるそうございますから……」

「そうか。じゃ、院長の指名という形式にすればなんでもない。心配せんでいよ。その代り、院長の看護は立派にやってくれ」

 彼女の瞳は、一瞬、明るく輝いた。

「ええ、そりゃもう、一生懸命……」

 先例のないことではあり、糸田事務長は婦長の橋本相手に、まだ詮議を重ねていた。
 日疋は、二人を代る代る見くらべて、

「なんだ、まだきまらないの?」

「いえ、一人はよろしいですが、もう一人……」

「もう一人は、石渡ぎん。院長夫人のお名指しだ」

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年6月1日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、読者の便宜をはかり、現代かな遣いに改訂しています。
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2014年5月31日 (土)

第43話 歌はぬ歌(二)

 日疋は、われ知らず妙なジレンマに陥っていることに気がついた。志摩一家の運命が、今や自分の手中にあるという確信に燃えれば燃えるほど、啓子という存在が最も貴重な、そして危いものに感じられて来た。であるからこそ、自分のためにも、彼女のためにも、悔いののこらない処置をとらねばならぬと思ひながら、信じればほろ苦く、疑えばかすかな甘さが胸を這うのである。

「さては、参ってるかな、おれも……」

 笑おうとしても笑えないところをみると、これは冗談ごとではあるまい。

 卓上電話のベルが鳴った。

「もし、もし、あ、奥さんですか? 僕、日疋です……」

 志摩夫人は、早口に、看護婦はもうそちらを出たろうかと訊ね、主人の容体がどうも変だから、金谷博士に至急来て貰うようにしてくれと言い、ついでに笹島にもこのことを伝へて欲しいとつけたした。

「はあ、承知しました。看護婦は今すぐ差し向けます。で、意識ははっきりしておいでですか? 何処か苦痛を訴えられますか?」

 彼は、問い返した。

「いいえ、相変らず自分ではどこがどうだとも言わないんですよ、ただ、いかにもだるさうなんですの。眼の色でそれがわかりますもの、あたしには……。それに、今朝また、少しもどしましたのよ。自分で看護婦を呼べっていうくらいですから……。あ、それからね啓子がまたお昼からそちらへ寄ると思いますけれど、今日は早く帰るようにおっしゃってちょうだい。では……」

 なんという苦労を知らぬ声であらう。うっかりすると娘の啓子よりも若やいだ調子に聞こえるのは、ややもつれ気味の舌のせいであらうか。

 彼は、起ちあがって、大股に部屋を出て行った。

 事務室をのぞいて、糸田に看護婦の催促をし、更に医局の扉を押した。

 金谷博士は、回診の最中だということで、彼は、二階へ駈けあがった。内科の病室がずらりと並んでいる。多勢の医者と看護婦とを幕僚のように引連れた、矮躯長髯の博士は、今一室から次の一室に移ろうとしているところであった。

「先生、ちょっと……」

 日疋は、そう呼び止めて、急に此処で言うのはまずいなと思ったが、もう遅かった。

「院長の奥さんから、先生に是非、今日あちらへお立寄り願いたいというお言付ですが……。今朝から少しお元気がないというんで奥さん、心配しておられますから、……」

 それをみなまで言わさず、金谷博士は大きくかぶりを振って、

「今更、僕でもあるまいじゃないか。そりゃ来いというなら行ってもいいぜ、手をつかねて帰るばかりだよ。容体はもうわかっとるんだからね」

「しかし、奥さんの気休めということもありますから……」

「ああ、そりゃそう……当人が脈を取らせさえすりゃね。参りましょう。田所君にも立会ってもらおうじゃないか」

 その足で、日疋は、外科治療室へ飛び込んだ。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月31日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、読者の便宜をはかり、現代かな遣いに改訂しています。
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2014年5月30日 (金)

第42話 歌はぬ歌(一)

 それから一週間もたたないうちのことであった。日疋は午前中に外の用事をすまして、昼近く病院へやって来ると、事務長の糸田が眼の色を変えて、

「さっき院長のお宅から電話がありましてな、看護婦を二名至急寄越せというご命令ですが、人選は婦長に委せてよろしいでしょうか?」

 と、さも重大事が起こったという風に報告をした。

「さあ、そいつは僕にはわからん。金谷先生にでも相談してみたまえ」

「金谷先生では、ちょっと……。そいじゃ、まあ、こちらでよろしく取計らいましょう。しかし、院長が急におわるいんですかなあ。なんでも胃癌だという噂ですが。ほんとうでしょうか?」

「ねえ、君……」

 帰って行こうとする糸田の背中へ、彼は鋭く呼びかけた。

「この病院のことは君が一番よくご存じの筈だが、笹島先生以外に院長のお嬢さんをねらってる若い医者はいなかったのかねえ。話を持ち込んで断られたというような話は聞きませんか?」

 糸田は、この出しぬけの質問にちょっと間誤ついた様子であったが、ようよう、眼尻に皺を寄せ、

「さようですな、そんな話はどうも聞きませんでしたな。というのが、あんた、あの啓子さんという方は、ここ四五年、病気というもんをなすったことがありませんのでなあ」

「病気をしなくったって、君……」

「いや、ですから、つい、お嬢さんがあることだけを知って、お顔を見たこともないっていうのが大部分でしょう、殊に新しくはいった方は……」

「ふむ」

 と、彼は考えて、

「今度、笹島先生との話がきまったのについて、部長の田所先生に仲人を頼んで断られたというのはどういう訳だろう?」

「ああ、そいつはね、田所先生っていう方は、そういうことがお嫌いなんですよ。偏屈と言っちゃわるいが、とっても世間ばなれのした方でね、まあ、ごらんになってわかる通り……」

「そりゃわかってるが、別に笹島先生に対してどうこうというんじゃあるまいね」

「笹島先生は、正直なところ、よく言う人とわるく言う人がありますな。わたしどもは立派な方だと思ってますよ。若いに似合わずよく気のつく方でね。看護婦なんか蔭でいろいろ言いますがね、みんな、それ、妬きっくらですよ」

「あ、今の看護婦のこと、早くせんといかんね。それから、今日は啓子さんのみえる日だったかね? ちょっと調べてくれたまえ」

 日疋は、何か急きたてられるような思いで、じっと机の前に坐っているのがひと辛抱だった。泰英の容体については、もう既に直接、君だけにはと言って、ほんとのことを打ち明けられていたから、今更、それほど驚きはしなかったが、若しも、今日明日に万一のことがあったら、いろいろ面倒な問題が起りそうにも考えられた。

 第一に志摩家の経済状態が明るみへさらけ出され、整理のプランを一部分変更しなければなるまいし、ことによると、病院の機構改革は、忽ち暗礁に乗りあげるものと覚悟しなければならぬ。

 が、それと同時に、啓子の縁談は果たして、順調に進められるであろうか? もとより、その点は、相手、笹島の肚ひとつに違いないとは言え、その笹島が、博士なきあとの、言わば没落した志摩家の娘啓子をなんと見るかであった。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月30日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、読者の便宜をはかり、現代かな遣いに改訂しています。
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2014年5月29日 (木)

第41話 宣告(九)

「いま笹島先生に会ったから冷かして来てあげたわ。だって、あの方、論文がパスするまでは奥さん貰はないっておっしゃってたのよ」

 女史はいきなり、彼の腰かけるべき椅子を占領してしまったので日疋は、逆にお客のような位置で畏まっていた。

「で、ご相談とおっしゃるのは?」

「え? 相談? なんの? あら、あたしそんなこと言ったかしら……?」

 急に想い出せないと、そんな風なとんちんかんな訊き返し方をする女がよくあるから、彼は黙って相手にならずにいると

「ああ、そうそう、こりゃ別のお話だけど、病院でベッドお入用ないかしら?」

「ベッド……? そりゃどういうんです?」

「新しいベッド五十ばかり……スプリングは和製だけど七年間保証をつけるんですって……。実はね、親戚のもので帝大の××内科に勤めてたのが、今年開業するっていうんで、郊外へ小さな病院を建てたのよ。そりゃいいけど、いよいよ引っ越しをしようっていう段になって、ぷいと気が変って地方の病院へ副院長で傭われて行っちまったんです。そこへ注文で作らせたベッドが出来あがって来たでしょう。建物はやっと買手がついていまアパートに模様替えの最中なんだけれど、みんな日本間にするんだからベッドはいらないっていうし、あとを頼まれたあたしが困ってるんですよ。なんとかしていただけない? そう言っちゃなんだけど、ここのベッドはあんまりひどすぎるわ。特等だけでも、新調なさるつもりで、それ使ってちょうだいよ。今あるのは、そのうちご増建になる施療の方へでもおまわしになればいわ。ねえ、そうなさいな。一台六十五円なんだけど二割ぐらい引いとくわよ」

「糸田君に話してごらんになりましたか……」

「いえ、まだ……。あのひと、ケチだから駄目。賄のわるいことじゃ評判ですよ、この病院は……」

「それが事務長の責任ですかねえ?」

「あたりまえじゃないの、材料費を無茶に節約するからだわ」

「しかし、調理の方は……」

「ええ、ええ、そりゃ、栄養食の方は、あれでも専門家よ。普通患者の献立と来たら、箸にもフォークにもかかりゃしないから……」

 日疋は、その洒落をキョトンとして聴いていた。

 と、その時、扉(ドア)を叩く音がした。精神病科の医局員で、橋爪といふ新進の博士であった。

「日疋君、いま忙しい? や、今日は奥さん……」

 と、両手をポケっトに突っ込んだまま、無造作に頭を下げた。

「いや、別に……。奥さんとの話はもうすんだ。まあ掛け給え」

「じゃ、ちょっと二人きりになりたいな」

 橋爪が独言のように言った。

「あら、お邪魔……どうも失礼……」

 女史は起ち上がって、二三歩扉(ドア)に近づき、そこで日疋を振りかえった。

「じゃ、ベッドのことはどうかお考えになって……。その代り、またあたしでお役に立つことがあったら、なんでもどうぞ……」

 それから、つかつかと日疋のそばへ寄って来て、急に声をおとし

「本郷のお邸お手ばなしになるんですって……? あたし、心当りがあるから、ちよっと話してみましょうか? 二十五万っていうとこね」

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月29日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、原文通り、旧かな遣い・旧漢字で表記しています。
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2014年5月28日 (水)

第40話 宣告(八)

 日疋は、笹島という名を聞くと、やっぱりそうだったのかと思った。彼はそういう問題にまで立入る必要もなかったし、義務も感じないほどであったが、ただ、啓子という娘の運命がこれできまるのかと思うと、ちょっと侘びしい気がした。彼女が生涯の道づれとして選んだ男を、容赦なく批評の眼でみることも興味のあることだった。

 しかし、それよりも、彼の心のなかに、啓子の美しさ、異性としての魅力がどれほどの作用を及ぼしているかという点で、この時ほどはっきりと自分の感情をみせつけられたことはない。それは眠っていた意識が呼びさまされたというかたちではあったが、彼は、どうしようもないこの「空虚なわだかまり」をもちあつかいかねて、一つ時、泰英の言葉が耳にはいらぬ状態であった。

 彼は、鎌倉山から病院へ帰って来る途中、ふと、何時か動物園でみた鷲のことを想い出した。その鷲は檻の中で例の泊木の枝に止ってじっと前方を見つめていた。雀が一羽、檻の隅にからだをすくめて、金網の外から白い腹を波うたせているのがみえる。鷲はそんなものには眼もくれないという風であった。長い時間がたった。彼は息を殺してみていた。と、なにに驚いたのか、雀は、小さな羽ばたきをひとつすると、ぷいと金網をはなれて飛び立った。鷲の眼が光った。その瞬間、あたりの空気が、大きく揺れて、物々しい翼の影が檻いっぱいにひろがるとみると、もう雀のからだは、黄色い鷲の爪の間でぐったりとしていた。

 彼は今、その光景を再び眼の前に描いて、思わず眉を寄せた。

 病院は丁度昼休みの時間であった。

 自分の部屋へはいる前に、ちょっと事務室をのぞくと、

「おや、さっきから、あなたをお待ちしてましたのよ。折入ったご相談があって……今、十分ほど、五分でもよろしいわ。お耳を拝借……」

 そこにいた一人の中年の婦人が、寄り添うように声をかけた。

 それは大串民代と称する此病院の言わば常連なのである。時には外来として、時には見舞客として、またどうかすると、別に用もないのに廊下や医局の前をぶらぶら歩きまわり、若い医者や看護婦をつかまえてお愛想をふりまいていることがある。見たところ服装もなかなか洒落ているし、話すことも常軌を逸してはいないから、みんなひと通りの敬意を払い、快く相手になるという具合であった。が、それにしても、どこか、何かが変わっていることは事実で、ちゃんと名前を呼ぶものはなく、蔭ではただ「女史」といふ綽名で通っていた。聞くところによると、この病院にはもう十幾年以来出入をし、入院だけでも七八度といふ記録保持者で、月に一度は少くとも自分で新しい病気を作って来るか、初診の患者を紹介してよこすのである。

 日疋は何時の間にかこの「女史」と懇意な口を利くようになり、思いがけない時に、主事室の扉(ドア)を叩かれるようなことがあった。

「伺いましょう? 僕の部屋へいらっしゃいますか?」

 彼は先に立って歩きだした。

「いよいよ結納のお取りかわしがあるんですってね。超スピードじゃないの」

 啓子と笹島との噂を最初に何処からか聞き込んで来てそれを彼の耳に入れたのはこの大串夫人だったのである。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月28日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
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2014年5月27日 (火)

第39話 宣告(七)

「誰です、そんなこと言ったのは?」

 笹島は、信じられないというような顔つきで問い返した。

「それが、小学校の女の先生なんですの。ご自分が生徒にミシンを教えてらっしゃる経験から普通の知能をもっている場合には考えられないことだって、はっきり断言なさったんですって……。それを聞いて来た友達が、あたくしにその話をして大悦びなんですの」

 そう言いながら、啓子も、思い出し笑いをした。

「へえ、そういうことを断言する女の先生の顔が想像できますね。あなたのお友達が、その話をまたあなたにして聞かせたというのも面白い。こいつはよほどあなたを信用してかかる必要があるから……」

 と、笹島は、自分でその言葉の裏に気がつかぬらしく、あとは平然と煙草に火をつけた。

 が、啓子は、そこで、冷やりとした。さも自分でもその説を否定するような結果になることをどうして気づかなかったのであろう? 彼女は、話の筋道をもとへ戻さねばならぬ。

「ねえ、先生、あたくし、一度、そういう心理試験みたいなことをしていただこうかと思うんですの。神経科の方ですかしら、それは……?」

「冗談言っちゃいけませんよ。神経科でも何処へでもいらっしやるのはご随意ですが、そういう試験なら僕で沢山でしょう。たとえ、あなたの脳に欠陥があったとしたところで、誰がその欠陥を埋めてくれるんです? 精神病学はまだそこまで発達していませんからね」

「父は自分が死んだら病院で解剖して貰うんだって言ってますわ」

 と、突然、彼女は口の中で言った。

 笹島は、驚いて顔をあげたが、啓子の表情は水のように澄んでいた。

 泰彦夫婦がやがて姿を現わした時分には、二人はもう何もかも話はすんだという風であった。

 で、啓子は、いよいよその週の終りに、身のまわりの荷物といっしょに鎌倉山の方へ移ることにしたが、そこで母の切り出した第一の話というのが、笹島との縁談についてであった。

「お父さまも、今のうちに早く話をきめといた方がいっておっしゃってるから……あなたさへよかったら、すぐにお返事をしようじゃないの」

「お任せするわ」

 きっぱりと、啓子は答えた。

 それ以来、学校の帰りに病院へ寄るという一日おきの日課が、啓子には、まったく新しい意味をもつようになった。

 たいがい、巻換えがすむと、廊下の途中や、玄関の降り口で笹島が彼女を待っていた。

「今日はずっと家へ帰りますか?」

 そういう具合に話しかけることもあり、

「五時に手があくんですがね、どっかでぶらぶらしてて下されば、僕、お送りしますよ」

 と、その通り、鎌倉山まで一緒に話しながら帰ることもあるのである。

 もう六月にはいろうとしていた。

 別れしなに、軽く握手をする習慣もついた。

 日疋祐三が、泰英から、娘の縁談がほぼきまったから、費用万端のことは妻の意見もきいてなるべく奮発して貰いたいという相談を受けたのは、その頃であった。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月27日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
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2014年5月26日 (月)

第38話 宣告(六)

 と、笹島は、こんどは、キッと顔をあげ、彼女の視線を追うように、

「順序としては間違っていないつもりですが、今日、直接、あなたのお返事が伺えれば、それはそれで、一つの形式ですから……。僕は、どうも……なんと言いますか……こういう時の言葉を用意していませんが、要するに、あなたに笹島の姓を名乗っていただきたいんです」

 そこまでひと息に言って、彼は、ぐいと唾をのんだ。

 啓子は、真横ではあるが、全身を彼の前にさらしているだけに、顔の向け方に困ったが、それでも、相手の言葉を時々は眼で聴くだけの余裕をもっていた。

 二人の視線が、一つ時、結びついて離れないような状態になった。啓子は、これはいかんと思いながら、咄嗟に、

「思召はありがとうございます。でも、あたくしこそ、こういう時になんて申しあげていか……第一、考えてみなくっちゃなりませんもの……」

 と、ほんとに考えるように首をかしげて、やっと反対の方へ顔を反らした。

「お考えになる暇はいくらでもあると思います。それで、僕は希望を得たわけです。あとは、僕という人間をできるだけ正確につかんでいただければいいんです。あなたが僕に何を求められるかということは、追って詳しく伺うことにします。幸福とは愛するものに総てを与えることだと信じているからです。僕は一生涯食うだけのものは持っています。学問に仕えるといふ道は、ただ自分を精神的に富ませるという悦びのために選んだんです。人間として生きる上での僕のイデオロギイは、理想的な社会を目指す前に、理想的な、少くとも、充実した家庭生活というものの建設に生命を打ち込むことです。それは、勤勉な医師としての立場と矛盾はしないという確信が僕にはあるんです」

 こんな熱情が彼のどこにあるのかと思われるほどであった。

 しかし、啓子は、はじめて聴く異性の心の告白としては、妙に堅苦しいものをまず感じないではいられなかった。彼女がもし、夢のうちにある男性の求愛の言葉を想い描いたとしたら、もっと違った響きをもつものであったろう。それは、支離滅裂な表現でもかまわない。なにかそこには、理屈を飛び越えた、空気のようにふわりとした、肌で感じるよりほか感じようのないものが貫いている筈である。

 彼女は、それを、笹島の科学者という特性に帰してしまいたくなかった。自分にも罪があるのだと、ふと、平生この相手に示していた素っ気なさを思い出していた。

 で、急に、自分を励ますように、彼女は、おどけ顔をして言った。

「あたくしが指に怪我をしたことで、ある人がなんて言ったかご存じ?」

「知りません」

 彼は続けざまに瞬きをした。

「脳に欠陥がありやしないかですって……」

「ノオ?」

 と、彼は訊き返した。

「ええ、脳……ここ……頭のことですわ」

 彼女は、左手の人差で軽く脳天をつっ突いてみせた。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月26日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
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2014年5月25日 (日)

第37話 宣告(五)

 笹島は隙をみて啓子に話しかけた。

「どうも長くかかって申わけありません。あれっぱっちの傷と思って安心してたんですが、お嬢さんの指は、よほどデリケートだとみえて、普通の経過をとらんですよ。そのくせ別に、今のところ悪性な徴候がないんですよ。自然になおるものがなおらんというだけの話で、医者はただ、天を恨むばかりです」

 啓子は笑いながら答えた。

「厄介な患者をお引受けになって、さぞご迷惑だと思いますわ」

 すると、彼は、慌てて、

「いや、いや、僕はただ、弁解をしてるだけです。これがもし、普通の患者だったら、わざわざ治療を長びかせてるんだなんてデマを飛ばされるところですよ」

 これを聞いて、三喜枝は、容赦なく突っ込んだ。

「あら、啓子さんならどうしてそうじゃないっていう理由がたつんですの? もっとも、これは冗談だけど……」

 笹島は赤くなった。が、すぐに、

「どんな嫌疑でも僕は甘んじて受けます。但し、僕の憐むべきプライドは、あの傷を手品のようになおしちまって、お嬢さんに、――どんなもんですっていう顔がしたかったんですからな。はははは、こいつはさんざんでした」

 自嘲にしては屈託のない調子で彼は、わざと三喜枝の方へ頭を押えてみせた。

 こういう雰囲気は啓子にとって決して居心地のいいものとは言えなかった。しかし、食事が終ってサロンへ引きあげてから、兄夫婦は、それぞれ用事にかこつけて席を外してしまい、笹島と二人きりぽつねんと取残された自分の気持に、彼女は、なにか底知れぬ好奇心のようなものがのぞいているのにハッとした。

 笹島はスタンドの光を斜に浴び、僅のビールに酔ったせいであらうか、やや息苦しそうに肩で呼吸をしている。整いすぎた鼻の形から来る冷たさも、今夜はそれほどどぎつく感じられず、寧ろ、あの瞬間に明滅する瞳の輝きとともに、自分の才気をもてあます弱気な性格のシンボルのようにうけとれたのである。

 少し黙っている時間が長すぎると、彼女はじりじりしはじめた時、笹島は、組み合わせた脚をほどくといっしょに、重々しく口を開いた。

「今夜、偶然、こういう機会を作っていただいて、僕は感謝しています。恐らく、あなたはまだ何もご存じないんじゃないかと思ひますが、実は、僕、親戚の者を通じて、お父さんまで不躾けなお願いをしておいたんです」

 彼は、からだこそぐっと乗り出しているが、視線は伏せたままで、じっと後の言葉を探している様子であった。

 もう、その先は聴かなくってもわかってもいるが、彼女は、不意をくった形で、胸が痛いほどの動悸を、無理に押し静めようとした。

 その努力で、眉がひとりでに動く。彼女は、次第に自分の表情に気をとられていく自分を意識しはじめた。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月25日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、読者の便宜をはかり、現代かな遣いに改訂しています。
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