第46話 歌わぬ歌(五)
そこまで気を回す必要はあるまいと思いながら、日疋が、なんとなくこの彫像のように取り澄ました顔へ、おやと驚くようなニュースをぶつけてやりかたった。
が、鷹揚に首をかしげて挨拶を送り、靴音を高く響かせて部屋を出て行く笹島医学士の後姿を見送りながら、
「これなら、まず及第だ!」
と、心のなかで叫んだ。それは、忌々しく、しかも晴れ晴れとした気持であった。
笹島と入れ違いに、婦長に連れられて二人の看護婦がはいって来た。
「では、只今からこの二人を院長先生のお宅へ伺わせます。なにかご注意でも……」
婦長は、厳粛なお辞儀をした。
「あ、そう、どうもご苦労さん……。僕からは別に言うことはないが……。まあ、しっかりやって来てくれたまえ。お世話になった院長先生の看護をするなんて、君たちとしては千載一遇だ、名誉とかなんとかは問題じゃない。親身になってあげられれば申分ないな。じゃ、行ってらっしゃい」
石渡ぎんの視線が、ちらと彼を見あげた。もの言いたげな視線であった。彼は素気なく眼をそらして、くるりとデスクの方へからだを捻じ向けた。
扉(ドア)のしまる音がした。
彼は、溜息をついた。石渡ぎんを、もうこれ以上自分のそばへ寄せつけてはいかんなと思った。はじめは不用意に、一本気の彼女を、悪く言へばおだてて使おうとしたに過ぎぬ。ところが、最近では、其(その)信頼が別な感情に昂じて来ているのを、更に有効に利用していたと言えないだろうか? たしかに、そうなのである。この点、彼は、今となってなんと弁解のしようもないが、また、一方、それを自分の責任だとも思えぬ領域があって、ひとりでにおかしさがこみあげて来る。なぜなら彼は意識的にこの少女の歓心を買った覚えは絶対にないからである。なるほど時たま、身分の隔たりを無視して、仲間のような口の利き方をしたり、ほかの看護婦には見せないような私生活の一端をのぞかせたりしたことはある。しかし、彼女のために特別な将来を約束し、または、個人的な利益を計るようなことは主義としてしないつもりでいた。まして対手(あいて)の、こっちを信じきった、どうかすると、隙だらけの人懐っこさに、微笑をもって酬いることさえ思いつかなかったくらいである。ひと口に言えば、この女の盲目的帰依(ファナチスム)は、彼の心臓を素通りしてしまったことになる。いったい、これでいいのであろうか?
彼は、そこで、彼女の美点を数えあげる。まず性質はどうかというと、あくまでも単純である。素直である。従って、その勝気は、陽性で、服従の快感を知ることと矛盾しない。この年頃の女には珍しく、世間を識っているようなところがあり、若干、センチメンタルではあるが、それは寧ろ、彼女自身の精神的粧いのようなもので生れつきの荒々しさ――野生に類するものを巧みに緩和しているらしくみえる。
容貌について、彼は、正確な印象を頭のなかへ組み立ててみる。色が飛びぬけて白いという以外、どうと言って纏りのつけにくい顔である。見る度に中心の違う顔というのがあれば、まさにこの女の顔であらう。時には二重瞼で大きく瞬きをする訴えるような眼つきに気をとられ、時には、反りかえった上唇の無心な動きのみが心を惹くという風であった。なにはともあれ、それだけでも決して醜い女でないことにはなるので、彼もこのぎんという女に対する自分の迂闊な関心を、なんの理由に帰していいかわからなかった。
(初出:「東京朝日新聞」, 1938年6月3日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、原文通り、旧かな遣い・旧漢字で表記しています。
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