第39話 宣告(七)
「誰です、そんなこと言ったのは?」
笹島は、信じられないというような顔つきで問い返した。
「それが、小学校の女の先生なんですの。ご自分が生徒にミシンを教えてらっしゃる経験から普通の知能をもっている場合には考えられないことだって、はっきり断言なさったんですって……。それを聞いて来た友達が、あたくしにその話をして大悦びなんですの」
そう言いながら、啓子も、思い出し笑いをした。
「へえ、そういうことを断言する女の先生の顔が想像できますね。あなたのお友達が、その話をまたあなたにして聞かせたというのも面白い。こいつはよほどあなたを信用してかかる必要があるから……」
と、笹島は、自分でその言葉の裏に気がつかぬらしく、あとは平然と煙草に火をつけた。
が、啓子は、そこで、冷やりとした。さも自分でもその説を否定するような結果になることをどうして気づかなかったのであろう? 彼女は、話の筋道をもとへ戻さねばならぬ。
「ねえ、先生、あたくし、一度、そういう心理試験みたいなことをしていただこうかと思うんですの。神経科の方ですかしら、それは……?」
「冗談言っちゃいけませんよ。神経科でも何処へでもいらっしやるのはご随意ですが、そういう試験なら僕で沢山でしょう。たとえ、あなたの脳に欠陥があったとしたところで、誰がその欠陥を埋めてくれるんです? 精神病学はまだそこまで発達していませんからね」
「父は自分が死んだら病院で解剖して貰うんだって言ってますわ」
と、突然、彼女は口の中で言った。
笹島は、驚いて顔をあげたが、啓子の表情は水のように澄んでいた。
泰彦夫婦がやがて姿を現わした時分には、二人はもう何もかも話はすんだという風であった。
で、啓子は、いよいよその週の終りに、身のまわりの荷物といっしょに鎌倉山の方へ移ることにしたが、そこで母の切り出した第一の話というのが、笹島との縁談についてであった。
「お父さまも、今のうちに早く話をきめといた方がいっておっしゃってるから……あなたさへよかったら、すぐにお返事をしようじゃないの」
「お任せするわ」
きっぱりと、啓子は答えた。
それ以来、学校の帰りに病院へ寄るという一日おきの日課が、啓子には、まったく新しい意味をもつようになった。
たいがい、巻換えがすむと、廊下の途中や、玄関の降り口で笹島が彼女を待っていた。
「今日はずっと家へ帰りますか?」
そういう具合に話しかけることもあり、
「五時に手があくんですがね、どっかでぶらぶらしてて下されば、僕、お送りしますよ」
と、その通り、鎌倉山まで一緒に話しながら帰ることもあるのである。
もう六月にはいろうとしていた。
別れしなに、軽く握手をする習慣もついた。
日疋祐三が、泰英から、娘の縁談がほぼきまったから、費用万端のことは妻の意見もきいてなるべく奮発して貰いたいという相談を受けたのは、その頃であった。
(初出:「東京朝日新聞」, 1938年5月27日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、読者の便宜をはかり、現代かな遣いに改訂しています。
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