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  • 坂本葵 | Aoi SAKAMOTO

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2014年4月

2014年4月30日 (水)

第12話 未知の世界(三)

 日疋祐三は、いま、その時の志摩博士の顔つきを想い出している。老科学者風の冷厳さは消えて、なにか気魄の衰えのようなもの、自ら膝を屈する脆さをありありと示していた。

 彼は、即答を与えず、ひと晩、考えぬいた。翌朝、晴ればれと決心の臍をきめ、これまで築きあげた地位を惜しげもなく捨てたのである。

 恩義に報いるという気持が全然ないではないが、それよりも、所謂、男子意気に感ずというところの方が強かった。しかし、博士の言った通り、仕事の面白味は、なんとしても、大会社の庶務課長より、小さくとも独立した事業を一人で切り回すことにあると思ったのが、むしろ第一に彼の決心を早めさせた原因なのである。

「では、医局の方はみなさんお揃いになったそうですから……」

 糸田事務長の知らせで、彼は起ち上った。

 思ったより広い部屋であった。両側にデスクが並んでいた。

 彼がはいって行くと、各部長がひと塊になって彼を迎え、中でも、内科部長の金谷博士は、いかにも旧知のような打ち解けた調子で、

「どうもご苦労さま……。大体様子がおわかりになりましたか? では、医局員にご紹介いたしましょう。諸君、ちょっと起ってくれたまえ。」

 ぞろぞろと椅子を離れて、いろいろの顔がこっちを向く、なかには明かに無関心を装う顔がみえる。

「じゃ、僕から簡単に……」

 そう言って、金谷博士は日疋の方を顧み、

「かねてお聞き及びのことと思うが、今度、院長の特別なお眼鏡で、ここにおられる日疋祐三とおっしゃる方は、この病院の主事としてご勤務下さることになりました。先刻ご承知のとおり、院長は久しく健康が勝れられないために、別荘で静養をつづけておられるのだが、これは、病院の信用上、かつ統制上、甚だ憂慮すべき状態と言わんけりゃならんのであって、われわれとしても、内外の事情に照らし、この欠陥を補うために、あらゆる処置を講ずる必要を感じている次第なんであるが、幸い、内部的に、院長事務代理とも言うべき地位と人物とを得たことは、今後、組織の運転を一層円滑ならしめるものとして、大いに期待をもつところであります。」

 ここで、突然調子を張り、

「もちろん専門の領域において技術家たるわれわれの職分は何等これによって影響を受けるものではない。さきほど、院長代理というような言葉を使いましたが、これは、内科臨床医学の大先輩志摩博士に代るものという意味では毛頭なく、単に、志摩病院の院主、即ち一個の経営者たる志摩泰英を代表するに過ぎないのだということを、諸君は銘記されたい。その意味に於いて、われわれは、日疋君に全幅の信頼と同情を惜しまないものであります。」

 拍手をするものが二三人あった。

 日疋祐三は、この瞬間に、医局内の空気なるものを直感した。

 彼はややあって、おもむろに口を開いた。

「只今の金谷博士のご紹介のお言葉は、その過分のご期待を除いては、私の言わんとするところを尽くしていると思います。ごらんの通り、私は、一介の書生で、まだ大した事業の経験もなく、人心の機微にも甚だ疎いのであります。殊に、医学なるものの片鱗をも弁えず、病院というものの門を潜った記憶もない次第で、言わば、今日突然、見知らぬ世界に迷い込んだわけです。果たして、私のような人間の通れる道があるかどうか、諸先生の好意あるお手引きに頼る外、一歩を踏み出すことさえ困難なのを感じます。」

 彼は部屋の隅々を、じっと眺めまわした。咳払いひとつ聞こえない。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月30日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、読者の便宜をはかり、現代かな遣いに改訂しています。
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2014年4月29日 (火)

第11話 未知の世界(二)

 寄宿と並んで小さなコンクリートの建物があった。

「屍室です」

 と糸田は、その前で立ち止まった。

「これだけで足りますか?」

 日疋は訊ねた。

「なんとか間に合ってるようですな。亡くなった患者は、その日に運び出すのが原則ですから……」

「毎日どのくらい死にますか…」

「さあ、そいつは、時によって大変違いますが、多い時には五六人もあることがあります。一人もない日が三日続くことは珍しいでしょう」

「入院患者の数が、いま幾人でしたっけ?」

「ええ、只今のところ、三百五十六人……昨夜の調べです」

 建物と建物との間の、じめじめした通路から洗濯物がいっぱい干してある空地が見える。その向うは鉄柵を隔てて往来になっている。

「これでひと通り廻ったわけですね」

「いや、あとにまだ隔離室と、最近建増しをした実費患者の病棟がありますが、これはこの次といふことに致しましょうか……では、こちらからどうぞ……」

 スリッパの泥をばたばたと払って、糸田は暗い廊下の方へあがって行った。

 あとは医局へ挨拶をすることだけが残っている。志摩院長の紹介をもらって各部長だけは自宅を訪ねてあるのだから、医局員への紹介はそのうちの誰かがやってくれるだろう。これは昼休みの時間を利用することにしてある。

 日疋祐三は、ひとまず事務長室を引あげて、煙草を喫った。

 彼は今年とって三十三である。父は退職官吏であるが、よくあることで、ボロ会社の株をつかまされて丸裸になり、当時中學生であった彼が、学校を中途で止めねばならぬ羽目に立ち至った時、同郷の友、志摩泰英に縋って、若干の生活費と息子の学費を貢いでもらうことになった。この補助は、彼が小樽高商を卒業し、やがてこれも志摩博士の世話で台湾の製薬会社へ勤めるようになるまで続いたのである。

 ところが、就職後、彼は重役の覚えめでたく、とんとん拍子に出世をした。去年の秋、庶務課長の辞令を受け取って、久々で父母の膝下を訪れた時、ついでに志摩博士にも敬意を表しに行った。

 博士の頭に、強く彼の人物を印象づけたのは、抑もこういう機会だったに違いない。
「オリイッテソウダンシタシ シキュウジョウキョウコウ」

 この電報が彼をこのたび東京へ呼び寄せたのである。

 博士は率直に彼の財政が危機に瀕していることを訴え、病身の自分を助けて、事業の管理に当ってくれないかという相談をもちかけた。

「その方面の専門家に依頼する手もないではないが、こいつは、僕としては本意でない。もう時機が遅いのだ。技術よりも誠意、いや熱情がすべてを解決するのではないかと思う。但し、これだけははっきりさせておきたいが、僕は嘗て君の世話をしたからというんで、こんなことを無理に押しつける気は毛頭ない。殊に、君は洋々たる前途をもっている。それを見棄てて一私人のけちな事業なんかに係り合うのは、或は犠牲が大きすぎるかもしれん。それもよくわかる。が、仕事の面白味は、その仕事の大小に比例しはせんからな」

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月29日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、読者の便宜をはかり、現代かな遣いに改訂しています。
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2014年4月28日 (月)

第10話 未知の世界(一)

 事務長の糸田は、今度新しく主事という資格で病院へ乗り込んで来た日疋祐三なる人物を、まだどう扱っていいかわからなかった。

 院長からは、すべて病院のことは彼の指図に従えと言われているのだが、それほどの信任を受ける何ものかが、この男にあるのであらうか?

「ええと、ここが栄養食調理場になっています。患者の希望と、主治医の命令によりまして、前日伝票を切るようにしてあります。一日三食一円、八十銭、六十銭とこう三種類に分けてありますが、大体、材料費は三分の一であげるようにしています。そうでしたね、奥野さん」

「でも、ちょっとそれじゃむつかしゅうございますわ」

 瓦斯(ガス)で揚げものをこしらえていた主任は、この参観人の素性を知らず、そう答えた。

「あ、この方が、今度病院の主事になられた日疋さん、院長の代理として来られたんだから、そのおつもりで……。こちらは、栄養食の主任さんで奥野さんとおっしゃいます。女子大を卒業されて、その道の研究をなすった方です」

「よろしく……」

 と、奥野女史は、羞みながら、会釈をした。厳めしいロイド眼鏡はかけているが、まだ二十五にはなるまいと思われる年恰好である。

 日疋祐三は、さっきから病院のなかを案内させながら、この雑多な組織をひと通り呑み込むだけでも容易ではないと考えていた。

 調理室を出ると、糸田は、また階段を上りかけた。

「おや、まだ上になにかあるんですか?」

「いや、この上は屋上です。見晴しがいいですよ」

「景色の方はまた今度にしましょう。それより、看護婦さんの寄宿は?」

「それをまず、屋上から見ていただこうと思ったんですが、それじゃ、じかに参りましょうか」

 別棟になった木造三階建の入口に「白鶯寮」と書いた大きな札がかかっている。

「この名前は誰がつけたんですか?」

「内科部長の金谷博士でしたかな。以前、養成所の所長をなすっていらしった時分だと思ひます。白はつまり看護婦の服ですな。鶯は例の……」

「ナイチンゲールですか」

と、日疋は、苦笑した。

「男子の訪問は一切禁制ということにしてあります」

 ひと部屋ひと部屋をのぞきながら、糸田は自分でも珍しそうにしている。

「八畳ですね。ひと部屋に何人いれるんです」

「別に定員というものはきめてありませんが、大体、平均して十五六人になりましょうか。というと無理なようですが、実際、夜分、ここで寝るのはその半分という割でしょう。患者の付添と看護室の不寝番がありますから……」

「いつか、何処かの病院で、看護婦が待遇改善の運動をしたっていう新聞をみた覚えはありますが……」

「いや、ここでは、そんなことは絶対にありません。院長の御子息が洋行から帰って来られると、まっさきに、看護婦の優遇方法を考えられましてな。いまお目にかけますが、ちゃんと娯楽室の設備もできましたし、ほかの病院に率先して公休日も作りましたし……」

 ふと、首をつっ込んだ部屋に、日疋祐三は、夜具も敷かず、正体なく寝崩れている一団の女の姿をみた。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月28日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、読者の便宜をはかり、現代かな遣いに改訂しています。
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2014年4月27日 (日)

第9話 志摩家の人々(九)

 夕食の支度ができ、瀧子は時計と睨めっくらをしている。

 六時になり、七時になっても、泰彦夫婦はやって来ない。

 啓子は腹をぺこぺこに空かして、紅茶ばかりがぶがぶ飲んでいる。

 父の泰英は、とうとう居眠りをしはじめた。

 七時半まで待つことになった。

 と、やがて、表で自動車が止る音がし、瀧子と啓子が玄関へ飛びだすと、車が違っている。おやと思う間もなく、降りて来たのは、兄嫁の三喜枝一人であった。

「どうもすみません。遅くなっちゃって……。ホテルを出ようとした時、ウィーン時代のお友達にひょっくり会ったもんだから……。泰彦さんは、明日の午後までいるつもりなんですの。それじゃこちらに悪いからって、あたし一人で伺ったんですのよ。ごめんなさいね。大船から変な暗い道へ迷い込んじゃって……ああ、心配した」

 首に巻いた黄のスカーフを大袈裟な手つきでほどくと、もう靴を脱いで上へあがっていた。

 痩せぎすの、どこか病的な鋭さと子供のような単純さとを同時にもった、全体の容姿挙動がなんとなく尋常でないところのある女である。

「そんなことなら、わざわざあなた一人で来なくっても、電話をかけてくれなさりゃよかったのに……」

 瀧子は、そう言いながら奥へ引っ込んだ。

「啓子さん、あんた、何時から来てんの、ひどいわ、黙って……」

 三喜枝は啓子の肩へおぶさるようなしぐさで、ぐんぐん後ろから押して行った。

 泰英は申訳のように食卓についた。

 八畳の茶の間である。

 啓子は父と向いあい、三喜枝は瀧子と向い合っていた。

「二人ともそんなに黙ってないで、お父さまになんかお話をしてあげて頂戴よ。退屈してらっしゃるんだから……」

「ちょっと待って……いま大急ぎでこれだけ食べちまうから……」

 啓子は伊勢海老の肉を剥がすのに夢中である。

「わしは、ちっとも退屈なんかしとりゃせんよ。それより、今日は好い機会だから、みんなに言っとくが……志摩一家もこれまではまず順調な道を歩いて来た。しかし明日はどうなるかわからんよ。わしのからだも何時までという保証はできんし、財産もいろんな事情で一切人手に渡るようなことがあるかもしれん。もちろん、わしの生きている間は、みんなが食ふに困るような状態にはせんつもりだが、少くとも、すべての点で、贅沢は禁止だ。今からその覚悟をしてもらわにゃならん。泰彦には、三喜さんからよく話しといてくれ。具体的なことは追ってきめるから、文句の出んようにしてほしい」

 女三人は、呼吸を殺して、聴いていた。

 瀧子が先ず口を開いた。

「病院の方が思わしくないんですの?」

「それもある。が、それだけじゃない。病院は、わしが出て行きさえすりゃいいんだが……」

 啓子は、その言葉を自分だけに通じる言葉として、ひそかに同感した。看護婦の石渡ぎんが自分に言ったことは、やはり事実だったのだ。

 縁の硝子戸を透して、遠くの海がキラキラ光っていた。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月27日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
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2014年4月26日 (土)

第8話 志摩家の人々(八)

 啓子が母の瀧子になにか目くばせをした。――いいのよ、お父さまに喋らしておおきなさいよ。といふ眼つきであった。

 瀧子も心得顔に笑いを噛み殺している。

「じゃ、啓子、お母さんの前ではっきり返事をしなさい。これと思う人物があったら、明日にでもお嫁に行くって……」

「…………」

 啓子は、探るような眼つきで、じっと父の顔を見つめている。

「どうだ、おい……」

「お父さまがこれとお思いになる人物は、名門出の秀才なんでしょう」

「いや、そうとは限らん。お前がこれと思うふ人物でもかまわんよ。あんまり素性の悪いのは困るが……。大体の選択はお前に任せる。ただいつかみたいに、相手をろくにききもしないで、まだ時期が早すぎるとか、結婚ってものはなんだかおそろしいとか、つまらん理由で話をぶちこわしてしまっちゃ困るからな。もうそんなことはないね」

 父のいうことは尤もであった。が、彼女としては、ちっとも結婚を急いでいないことも事実である。現在の境遇は誰にくらべても満ち足りたものであったし、月並な恋愛が処女時代の夢を汚すように、型通りの結婚が、どっちみち得るものに比して失うものが多いということを、彼女は何時からか信じるようになっていた。

「今急にどうこうと望むわけじゃないが、とにかく、真面目に考えてみることにしようよ。問題をとりあげてだよ。それだけ約束するね」

 こう真正面から嘆願するように出られては、彼女としてもいやとは言えず、母の方へちらりと笑ってみせたうえ、

「ええ」

 と返事をした。

「よし、それだけ聞いておけば安心だ。お母さん、今晩は啓坊にご馳走してやってくれ給え。あ、それからな、忘れんうちに言っとくが、明日、病院へ電話をかけてね、糸田にこの間命じた書類を早く作って持って来いって……」

 その時、女中が、はいって来た。

「奥さま、只今若旦那さまからお電話でございまして、伊東からお帰りにこちらへお寄りになるそうでございます。ご夕食を召上るそうでございますが、どういたしましょう?」

「あら、困ったね」

 と、うっかり言って、瀧子は、

「困りもしないか。じゃ、予定を少し変えよう。海老はまだあったろう?」

「はあ、まだ大きいのが三匹も残っております」

「じゃ、あたし、今すぐ行くから……。お義姉さまも一緒ね、たしか……」

 と啓子を振り返った。

「昨日から泊りがけでゴルフなのよ。ドライヴに誘われたんだけど、あたし行かなかった、そうそう、帰りがけにでもお見舞をしなけりゃって、お義姉さま、言ってらしったわ」

「そうよ、もう一月、顔を見せないんだもの、あの人たち……」

 泰英は、この話には口を挟もうとしない。彼の後継者は、父博士の望む学校にはいれず、某医専をやっと卒業してすぐにウィーンに留学にやらされたのだが、金をかけた論文が遂に今もって何処をも通過せず、病院の整形外科に医局員として籍を置いているだけで、医者は性に合わんと、公然、誰にでも吹聴して歩いている。その代り、自動車の運転はもちろん、ダンスと写真は玄人の域に達しているとの評判である。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月26日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
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2014年4月25日 (金)

第7話 志摩家の人々(七)

「お父さま、なにか心配ごとがおありになるんじゃない?」

 啓子はおそるおそる訊ねた。

「そんな顔をしてるかい? お前の眼がどうかしてるんだ。眩しいから、あの窓のカーテンを引いてくれ」

 西日の差込んでいる小窓を頤でさす父の顔はもう笑ってはいなかった。

「指をどうしたんだ」

「ううん、ちょっと針でつっ突いただけよ。それより、お父さまのご病気、近頃はどうなの? なんにもおっしゃらないから、いいんだかわるいんだか、さっぱりわからないじゃないの?」

 カーテンを閉めおわると、啓子は、そう言いながら、父の傍らに腰をおろした。

「病気の経過なんていうものは素人に話したってわかりゃせんよ。気分がいいとか悪いとかは、これは必ずしも病気と直接の関係はないんだからね。苦しみながら何時までも生きてる奴がいるし、死ぬ前まで平気でいるのもあるし、どっちみち、病気なんてものは、ひとりでになおればなおるんだ」

「あら、それじゃお医者さんの必要ないじゃないの。ご自分がお医者のくせにあんなことおっしゃって……」

「おい、それより、お前もそろそろ嫁に行かんか」

 この話は、これで二度目である。一度は母のいるところで、かねてしめし合わせてあったらしく、先ず父から切り出したのであった。その時は、ただ、「もう少しいろんなことを勉強して」と、ただそれだけを口実にきっぱり断ったのである。相手はなんでも陸軍大将の息子とかで、大会社の外国支店詰をしている青年であった。

「お嫁にって、どこへ?」

「どこでもいい、適当なところへさ。候補者はいくらでもあるぞ。うん、お前にその気があるなら、お母さんを此処へ呼んで一緒に相談しよう」

 母の瀧子は、はいって来ると、二人の顔を見比べながら、

「なんだ、啓子さん、あんたここにいたの? どこへ行ったのかと思った。お呼びにならなかった?」

「呼んだよ。啓子がお嫁に行くっていうから……」

「まあ、うそばっかり……お嫁に行くなんて言いやしないわ。お父さまが行かないかっておっしゃっただけじゃないの」

「そうしたら、何処へって訊いたじゃないか。相手次第では行くってことだ」

「あら、それだけのお話? それで、あたくしのご用は?」

 と瀧子も、夫のご機嫌につり込まれて、膝を乗り出すように椅子を引き寄せた。

 地味なつくりではあるが、これで夫の泰英とは二十違いの四十五、もちろん後添えとして、長女啓子を産んだ時は、先妻の残した長男の泰彦は、もう小学校を卒業する間際であった。夫の、どちらかといえば事業家肌の、内外ともに派手に振舞うたちにも拘らず、彼女は、人並すぐれた才気をもちながら、主義として慎ましく家庭を守りつづけ、その意味で、まったく世間を見ずにしまったというところのある女であった。

「だからさ、君はそこにいて二人の話を聴いていたまえ。あとで証人がいるかもしれんからな」

 泰英は、いつになく、はしゃいでいる。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月25日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
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2014年4月24日 (木)

第6話 志摩家の人々(六)

「もう長くいるの、お客さま?」

「ええ、かれこれ二時間になるわ、なんだか込み入ったお話らしいから……」

「あたしの知らない人?」

「知ってるでしょう、日疋さんさ」

「日疋さんて、二人いるじゃないの」

「息子さんの方さ」

「兵隊に行ってた人ね、いつかお正月に来て歌を唱った……」

「ああ、そんなことがあったっけね。四五年会わないうちに、すっかり紳士らしくなって……」

「今、なにしてるの、あの人?」

「なにしてるって、お父さまのお世話で、台湾のなんとかいう会社へはいったことは知ってるけど……。休暇で帰って来たのかもしれないわ」

「ああいう人、随分いるんでしょう、お父さまに学費を出していただいて勉強したっていうような人……」

「いるらしいね、いちいちはおっしゃらないけど……。うちの病院にだって、そういう人は随分いる筈よ。お父さまはそれを先輩の義務だと思ってらっしゃるし、世話になった人は、それを当然の権利だぐらいに思ってるんだから、世の中は面白いもんね」

 この時、離れのベルが鳴ったので、母は座をたった。

 客が帰るのである。

 啓子は、茶の間からそっと、廊下を通るその客の姿を一瞥した。

 五分刈の頭が、やや猫背でいかついた肩の上につき、だぶだぶの洋服を無造作に着こなした恰好は、さっきの「紳士」という言葉からは大分遠いように思われたが、玄関まで送って出た母へ、二言三言、挨拶を述べている、その調子がなんとなく重厚な感じを与え、飾り気のない人柄を想像させた。

 啓子は、その間に、父の居間をのぞきに行った。

「おお、来とったのか。長く話をしたら、少し疲れた。ちょっと、そのテーブルの上のものを片づけてくれ。みんな金庫へしまうんだ」

 テーブルの上には、同じ型の帳簿のようなものがうず高く積まれていた。

「今の男、知っとるかい」

「日疋さんでしょう」

「あとでお母さんにも話すが、あの男を今度おれの秘書にしようと思ってな。台湾からわざわざ呼び寄せたんだが、なかなかうんと言いよらん」

「お父さまの秘書ぐらい、あたしで勤まらない?」

「ぐらいとはなんだ。これでも、天下の志摩泰英だぞ。本来ならこうして寝てはおれんのだ。からだはいくつあっても足らん。病院の仕事だけでも、任しておける奴がをおらんじゃないか」

 父が、自分の仕事のことで、こんな風な口の利きかたをしたことは、かつて彼女の記憶になかった。明らかに異常とも思われる興奮のあとがみえた。

 啓子は、そっと父のそばへ寄って行った。彼は、寝椅子の上にぐったりと横になり、強いて笑顔を作ろうとしていた。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月24日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
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2014年4月23日 (水)

第5話 志摩家の人々(五)

 別荘は藤沢からバスでいくらもない鎌倉山の、新しく松林を切り開いた眺めのいい丘の上に建っていた。純日本風の母屋と、離れの洋館とが渡り廊下で繋がり、啓子の父、志摩泰英は、おおかた離れた方にいっきりで、まだ寝つくほどではないが、近頃は散歩の度数もだんだん減らしている。

 実をいうと、彼は、自分でももう胃癌の兆候を発見し、それを誰にも言わないでいるだけであった。

 時々、病院の医者たちが見舞に来るには来るが、別に脈を取るでもなく、「僕のからだは僕が一番よく知っとる」と言われ、苦笑しながら引き退るような始末である。

 彼は、こうして、刻々に死の近づくのを待っていた。

 啓子は、母の顔をみると、いきなり

「お客さま?」

 と訊ねた。玄関に靴が揃えてあったからである。

「どうしたの、その手は?」

 母の滝子は、逆にきめつけた。

「これ? 怪我よ。」

「怪我はわかってるわ。なにいたずらしたの?」

「あら、ミシンを使うのがいたずらなの。へえ、はじめて知ったわ」

 啓子は、まず相手をじらすのである。

「ミシンで指を縫うひとがありますか。みせてごらんなさい」

「見たってわかりゃしないわ。もう、針は抜いちゃったのよ」

 母がきょとんとしているので、

「針が親指へ突き刺さったのよ」

「そんなら、あんた、大変じゃないの」

「そうよ、大変よ。だから、病院で大手術を受けて来たわ」

「当り前に話をしたらどう? そんなに、大袈裟に言わないで……」

「大袈裟になんか言ってやしないわ。とにかく、綾部さんの赤ちゃんに着せてあげようと思って、素敵な型のベビイ服を考案したのよ。だって、出来合はろくなもんないんですもの。それを今日学校から帰って縫いはじめたの。ミシンの具合が、どうも変なのよ。いよいよ襟をつける時だったわ。ぐいと電流を入れた途端に、指がすべったのね、それこそ、からだじゅうがじいんとして、何事が起ったかと思ったわ。左手の親指がもうしびれて動かなくなってるの。でも、アッとかなんとか声を出したんでしょう。君やが駈つけて来て指を外してくれたの。ところが、刺さった針が途中から折れて、尖端の方が裏っ側へ出てるんだけど、引っぱってもなかなか抜けないの」

 母は、そこで思いきり顔をしかめ、眉をすぼめて身震いをした。

 啓子は、すべてが思った通りになるので、さも満足したというように、ひと息ついた。

「田所さんに、見ていただいたの?」

「部長さんは手術で手が放せないんですって……。なんとかいう若いひとがやってくれたわ。あぶなっかしいの」

「誰だろう? 丈の高い人かい? ちょっとスマートな……」

「香水のにおい、ぷんぷんさせてたわ」

「ああ、じゃ、笹島さんだ。あれで秀才だよ、あんた……」

 啓子は、笹島医学士のことにはあんまり興味はなかった。それより早く父のそばへ行きたいのだが、お客はいったい誰なのか?

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月23日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
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2014年4月22日 (火)

第4話 志摩家の人々(四)

 啓子は、うなづいてみせた。石渡ぎんの口から、さあ、どんな不平が飛び出すかと思うと、ひどく好奇心さえ湧いて来て、促すように歩をゆるめた。

「改まって人の悪口を言うのはむずかしいな。」

 と、しばらく考えるように首を傾げていたが、やがて、

「あたしが……看護婦のあたしが言うんだと思わないで聴いてほしいわ」

「だって、それや無理よ。じゃ、誰が言うと思って聴くの?」

「あなたの旧いお友達……」

 ぎんは、わざと澄まして、胸を張った。

 もう電車道はすぐそこである。話はいつまで続くかわからない。啓子は、別にこれからどうしようという当てがあるわけではないが、こんなところで立話もできまいと思うと、少し困った。

「あら、もう来ちやったわ。遅れると大変大変……。じゃそのお話は、またこのつぎね。明日は包帯交換にいらっしゃるわね」

 そう言ったと思うと、ぎんは、片手を差出して軽く振り、裾をひるがえしながら、走り去った。

 この旧友は、かつての学生時代の、あのむっつりしたところがまるでなくなっている。人なかで揉まれ抜いたというところが見える。それにしても、彼女は病院のことで何をこの自分に言いたかったのか、それをすっかり聴かずにしまったのはなんとしても惜しかった。普段はまるで自分の生活とは縁のないもののように思っていた病院のことが、こうなると妙に気になりだした。

 父がもう一年近く病気で鎌倉山の別荘に引込んだきりでいること本郷の家には兄夫婦がいるのだがこの兄は、医者とは名ばかりで、めったに病院へも顔を出さず、競馬やゴルフに凝っていること、それらを思い合わせると、日頃、無頓着な啓子の眼にも、志摩病院の将来という問題が大きく映って来た。

 彼女は空車を呼びとめて新橋駅へ走らせた。両親の顔が急に見たくなったのである。まだ女学校の専攻科へ通っている関係で、土曜の晩以外は本宅の方へ寝泊りをしているのだけれど、どうかすると今日みたいに、ふっと別荘の方へ足が向くのである。

 藤沢までの列車が、いつもよりのろく感じられた。

 母の顔がもう眼にうかぶ。この指の包帯をみたらなんというだろう?

 女学校の同級のうちで、一番早くお嫁に行った友達が、もう赤ん坊を産んだ。お祝いに手製のベビイ服をやろうと思って……こんな風に話して行くうちに、母の表情がどう変って行くか、これはちょっと楽しみだ。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月22日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
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2014年4月21日 (月)

第3話 志摩家の人々(三)

 石渡ぎんは先回りをして門のところで待っていた。

「電車通りまでお送りするわ」

 啓子は円タクを拾おうと思っているのだが、折角だからそのへんまで歩くことにした。

「学校おやめになってから、どうしてらっしゃるだろうと思って……お遊びにいらっしゃいよ、時々……」

「そんなことしたら、婦長さんにお目玉だわ。さっき手術室で、あなたに、ほら、お話をしかけたでしょう。ああいうことがいけないの。すぐに生意気って言われるんだから……。でも、近頃、随分平気になったわ」

 そう言って、彼女は、片一方の眉をぐいとあげて笑った。傲慢でも卑屈でもなく、なにか、自分を知っているというような、聡明な笑いであった。

「お別れして何年になるかしら?」

 と、啓子は、はじめて、しんみりとした。

「あたしが学校やめるとき、あなたにいただいた栞、まだ持っててよ」

 ぎんは、また昔を思いだすように言った。

「あら、そんなものあげた? どんなんだか忘れちゃった」

「象牙に彫もののしてある、あたしたちには買えないような栞よ。いい色になってるわ」

 そんなことを話し合いながら、二人は坂を下って行った。

 病院は小石川の高台にあった。人通りは殆どなかった。石渡ぎんは、そこで、やや躊躇うように言葉をついだ。

「ねえ志摩さん……。あたし、やっぱりそう呼ぶわ。お嬢さまなんておかしいから……。ねえ、志摩さん、今日あなたのお顔みたら、もう黙っていられなくなったの。こんなこと、あなたのお耳に入れる筋合じゃないかも知れないけど、あの病院のことで、近頃、いろんな噂がたっているのよ。まあ、噂だけならいけれど、あたしたちの眼にあまるようなことが、やけにあるんですもの……。院長先生はお見えにならないし、これでいいのかしらと思うと、あたし、仕事も手につかないくらいよ。そりゃ、自分だけの事なら、病院を出ちまえばいいんだわ。でも、自分がこれまで勤めて来たところって言えば、そう簡単には行かないし……。あなたならきっとわかって下さると思うの。それに、こんなことを、なんかの序に院長先生に知っていただけたら、またどうかなるんじゃないかと思ったりして……」

 啓子は黙って耳を傾けていたが、この時、ふと、今日病院で感じた、どことなく不愉快な印象を、ぎんの話に結びつけて考えていた。

「というと、例えばどういうことなの?」

 相手が話に乗ってくれたので、もう占めたという風に、

「じゃ、詳しく聴いて下さる? でも、ちゃんと筋道を立ててお話することなんかできないわ。そういう種類の事じゃないから……。まあ、言ってみれば、病院のためにならないような事実を、片っぱしから数えあげるだけよ、よくって」

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月21日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
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2014年4月20日 (日)

第2話 志摩家の人々(二)

「まあ」と言ったきり、啓子は、眼を見はった。が、それきり、石渡ぎんの姿は、右往左往するほかの看護婦たちの白衣のなかへ消えてしまった。

「では、また明日、傷の経過を拝見しましょう。少しいじり過ぎましたから……」

 笹島医学士の声でわれに返ると、啓子は思いだしたように、

「どうもありがとうございました」

 と腰をかがめ、帰る支度をした。

「お大事に……。じゃ、お送りしません」

「院長によろしく……」

などという一人一人の挨拶をうしろに、手術室の外へ出ると、彼女は、急に、頭がふらふらっとして、廊下の壁に手を支えた。さっきの、あの眼の眩むような痛さをただ思い出しただけである。随分、我慢はよかったつもりだ。あれでいくらか顔をしかめただろうか? もう誰も見ていないと思うから、彼女は、包帯をした指を頬でやわらかくこすり、

「可哀そうに、可哀そうに」

と、心の中で言った。可笑しなことに、目頭に涙がにじんで来た。

 この時、不意に、後ろで足音がした。振り返ると、石渡ぎんが泳ぐような手つきで走って来る。

「ごめんなさい。あたし、まごまごしちゃって……。でも、ここの養成所へはいる時から、この病院の院長さんが、あなたのお父様だってことは知ってましたのよ。いつになったら、あなたにわかるかしらと思ってたの。今日だって、あたしが黙ってれば、あなたご存じなかったわね」

「あたし、この病院へは滅多に来ないから……」

「それに、看護婦の名前なんぞ、お聞きになることはないから……」

 そうでもないわ、と、言おうとして、彼女は黙って歩き出した。

 長い廊下の窓からは、うららかな午後の陽が射し込んでいた。

 昨夜の嵐がそこ此処に吹き溜めたらしい桜の花びらを、また舞いあがらせる風もなく、病棟を隔てる中庭の芝生には、鳩が二三羽餌をあさっている。産科の病室から、赤ん坊の泣き声が聞こえて来ても、今日はなんとなく明るく澄んでいた。

 石渡ぎんは、小柄な、しまった肉付の、北国の血をひいた、肌のあくまでも白い、顔だちは整っているというよりも、寧ろ、一つ二つの欠点が魅力になっているという類の娘であった。

「あなた、ずっと外科の方?」

「ええ、今はそういうことになってますの。だから、あなたにお目にかかれたんだと思うと、うれしいわ、あたし」

 つい、昔のような口の利き方になる。それをどっちも気にとめず、玄関へ差しかかると、そこには、事務長の糸田が慇懃に頭をさげていた。

「如何でいらっしゃいます? 危うございましたな。いや、あのミシンというやつは、そばで見ていても冷やひやいたしますよ。あ、お車をお呼びいたしましょうか?」

「いいんですよ」

 啓子は顔を直すと、さっさと靴を穿いた。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月20日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
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2014年4月19日 (土)

第1話 志摩家の人々(一)

 覗き込んでいる顔のすべてが、一斉にほっとした表情になった。

 華奢な親指のさきから、今、抜き取ったばかりのミシン針をピンセットでつまんだまま、若い医者は、手術着の袖口で額の汗を拭いた。そして、やや上目遣いに、

「痛かったですか?」

 傷口から眼をそらして、静かに首を振ったのは、格子縞のスーツがぴったり似合い、心もちからだを捻って、椅子の背へ片肘をかけた姿態が、申分なくあでやかな二十歳そこそこの娘であった。

 面長の、どちらかと言えばおとなしい顔だが、陰のない眼の張りと、口元の締り加減に、一種気位の高さというようなものを感じさせ、やや浅黒い皮膚が産毛のなかで温かな艶を含んでいた。

「なかなか強いですね」

 と、医者は、照れた風でもう一度針を確かめた。

ほかに、見物とも見学ともつかず、同じ手術着を着た医者が三四人も立会っていた。院長のお嬢さんが来たというので、もう病院じゅうは評判であった。ところで外科部長が生憎大きな手術にかっていて、代りに誰かがこの令嬢の指からミシン針を抜き取らなければならぬときまった時、「おれがやる」とその役を買って出たのが笹島であった。彼はもちろん、あらゆる点で自信家の定評があるのである。

 針が途中から折れていたために、意外に面倒な手術であった。ピンセットがなんべんも滑って、そのたびに彼は舌を鳴らし、いくぶん慌て気味であった。

 が、もう、これでいいのである。

 傷口にマーキュロが塗られ、包帯が巻かれた。

 「あんまり手を動かしちゃいけませんよ。ああ、なんだったら、三角巾で吊っときましょうか」

 そう言いながら、彼は、さも易々と仕事を終ったもののように、口笛を吹きながら、手洗いの方へ大股に歩いて行った。

「しばらく休んでらっしゃい」

 と、一人の医者が、お愛想を言った。これは中年の鼻の頭に脂をためたレントゲン科の主任であった。

 すると、もう一人の方が、勿体らしく、

「お父さんのお加減はどうですか? あなたは、やはり別荘の方にいらっしゃるんでしょう?」

 それがひどく勘に障る調子なので、志摩啓子は、呆れて、その顔を見なおした。

「どっちって別にきまってませんの。その針、いただいていっていいかしら……」

と、紛らすように立ち上って、彼女は右手をのばし、血のついたガーゼの中から、ミシン針を拾いあげようとした。

 その時、一人の看護婦が、手早くそいつを乾いたガーゼに包んで、彼女の手に渡し、目立たないほどの会釈といっしょに、

「志摩さん、お久しぶりね……あたし、石渡ぎん、お忘れになった?」

 服装が変っていたので、これがと、しばらくは信じられなかったが、言われてみれば、なるほど、それに違いなかった。小学から女学校の二年まで同じクラスだった、あの石渡ぎんなのだ!

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月19日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
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