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  • 坂本葵 | Aoi SAKAMOTO

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2014年4月26日 (土)

第8話 志摩家の人々(八)

 啓子が母の瀧子になにか目くばせをした。――いいのよ、お父さまに喋らしておおきなさいよ。といふ眼つきであった。

 瀧子も心得顔に笑いを噛み殺している。

「じゃ、啓子、お母さんの前ではっきり返事をしなさい。これと思う人物があったら、明日にでもお嫁に行くって……」

「…………」

 啓子は、探るような眼つきで、じっと父の顔を見つめている。

「どうだ、おい……」

「お父さまがこれとお思いになる人物は、名門出の秀才なんでしょう」

「いや、そうとは限らん。お前がこれと思うふ人物でもかまわんよ。あんまり素性の悪いのは困るが……。大体の選択はお前に任せる。ただいつかみたいに、相手をろくにききもしないで、まだ時期が早すぎるとか、結婚ってものはなんだかおそろしいとか、つまらん理由で話をぶちこわしてしまっちゃ困るからな。もうそんなことはないね」

 父のいうことは尤もであった。が、彼女としては、ちっとも結婚を急いでいないことも事実である。現在の境遇は誰にくらべても満ち足りたものであったし、月並な恋愛が処女時代の夢を汚すように、型通りの結婚が、どっちみち得るものに比して失うものが多いということを、彼女は何時からか信じるようになっていた。

「今急にどうこうと望むわけじゃないが、とにかく、真面目に考えてみることにしようよ。問題をとりあげてだよ。それだけ約束するね」

 こう真正面から嘆願するように出られては、彼女としてもいやとは言えず、母の方へちらりと笑ってみせたうえ、

「ええ」

 と返事をした。

「よし、それだけ聞いておけば安心だ。お母さん、今晩は啓坊にご馳走してやってくれ給え。あ、それからな、忘れんうちに言っとくが、明日、病院へ電話をかけてね、糸田にこの間命じた書類を早く作って持って来いって……」

 その時、女中が、はいって来た。

「奥さま、只今若旦那さまからお電話でございまして、伊東からお帰りにこちらへお寄りになるそうでございます。ご夕食を召上るそうでございますが、どういたしましょう?」

「あら、困ったね」

 と、うっかり言って、瀧子は、

「困りもしないか。じゃ、予定を少し変えよう。海老はまだあったろう?」

「はあ、まだ大きいのが三匹も残っております」

「じゃ、あたし、今すぐ行くから……。お義姉さまも一緒ね、たしか……」

 と啓子を振り返った。

「昨日から泊りがけでゴルフなのよ。ドライヴに誘われたんだけど、あたし行かなかった、そうそう、帰りがけにでもお見舞をしなけりゃって、お義姉さま、言ってらしったわ」

「そうよ、もう一月、顔を見せないんだもの、あの人たち……」

 泰英は、この話には口を挟もうとしない。彼の後継者は、父博士の望む学校にはいれず、某医専をやっと卒業してすぐにウィーンに留学にやらされたのだが、金をかけた論文が遂に今もって何処をも通過せず、病院の整形外科に医局員として籍を置いているだけで、医者は性に合わんと、公然、誰にでも吹聴して歩いている。その代り、自動車の運転はもちろん、ダンスと写真は玄人の域に達しているとの評判である。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月26日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、読者の便宜をはかり、現代かな遣いに改訂しています。
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