第7話 志摩家の人々(七)
「お父さま、なにか心配ごとがおありになるんじゃない?」
啓子はおそるおそる訊ねた。
「そんな顔をしてるかい? お前の眼がどうかしてるんだ。眩しいから、あの窓のカーテンを引いてくれ」
西日の差込んでいる小窓を頤でさす父の顔はもう笑ってはいなかった。
「指をどうしたんだ」
「ううん、ちょっと針でつっ突いただけよ。それより、お父さまのご病気、近頃はどうなの? なんにもおっしゃらないから、いいんだかわるいんだか、さっぱりわからないじゃないの?」
カーテンを閉めおわると、啓子は、そう言いながら、父の傍らに腰をおろした。
「病気の経過なんていうものは素人に話したってわかりゃせんよ。気分がいいとか悪いとかは、これは必ずしも病気と直接の関係はないんだからね。苦しみながら何時までも生きてる奴がいるし、死ぬ前まで平気でいるのもあるし、どっちみち、病気なんてものは、ひとりでになおればなおるんだ」
「あら、それじゃお医者さんの必要ないじゃないの。ご自分がお医者のくせにあんなことおっしゃって……」
「おい、それより、お前もそろそろ嫁に行かんか」
この話は、これで二度目である。一度は母のいるところで、かねてしめし合わせてあったらしく、先ず父から切り出したのであった。その時は、ただ、「もう少しいろんなことを勉強して」と、ただそれだけを口実にきっぱり断ったのである。相手はなんでも陸軍大将の息子とかで、大会社の外国支店詰をしている青年であった。
「お嫁にって、どこへ?」
「どこでもいい、適当なところへさ。候補者はいくらでもあるぞ。うん、お前にその気があるなら、お母さんを此処へ呼んで一緒に相談しよう」
母の瀧子は、はいって来ると、二人の顔を見比べながら、
「なんだ、啓子さん、あんたここにいたの? どこへ行ったのかと思った。お呼びにならなかった?」
「呼んだよ。啓子がお嫁に行くっていうから……」
「まあ、うそばっかり……お嫁に行くなんて言いやしないわ。お父さまが行かないかっておっしゃっただけじゃないの」
「そうしたら、何処へって訊いたじゃないか。相手次第では行くってことだ」
「あら、それだけのお話? それで、あたくしのご用は?」
と瀧子も、夫のご機嫌につり込まれて、膝を乗り出すように椅子を引き寄せた。
地味なつくりではあるが、これで夫の泰英とは二十違いの四十五、もちろん後添えとして、長女啓子を産んだ時は、先妻の残した長男の泰彦は、もう小学校を卒業する間際であった。夫の、どちらかといえば事業家肌の、内外ともに派手に振舞うたちにも拘らず、彼女は、人並すぐれた才気をもちながら、主義として慎ましく家庭を守りつづけ、その意味で、まったく世間を見ずにしまったというところのある女であった。
「だからさ、君はそこにいて二人の話を聴いていたまえ。あとで証人がいるかもしれんからな」
泰英は、いつになく、はしゃいでいる。
(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月25日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、読者の便宜をはかり、現代かな遣いに改訂しています。
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