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  • 坂本葵 | Aoi SAKAMOTO

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2014年4月23日 (水)

第5話 志摩家の人々(五)

 別荘は藤沢からバスでいくらもない鎌倉山の、新しく松林を切り開いた眺めのいい丘の上に建っていた。純日本風の母屋と、離れの洋館とが渡り廊下で繋がり、啓子の父、志摩泰英は、おおかた離れた方にいっきりで、まだ寝つくほどではないが、近頃は散歩の度数もだんだん減らしている。

 実をいうと、彼は、自分でももう胃癌の兆候を発見し、それを誰にも言わないでいるだけであった。

 時々、病院の医者たちが見舞に来るには来るが、別に脈を取るでもなく、「僕のからだは僕が一番よく知っとる」と言われ、苦笑しながら引き退るような始末である。

 彼は、こうして、刻々に死の近づくのを待っていた。

 啓子は、母の顔をみると、いきなり

「お客さま?」

 と訊ねた。玄関に靴が揃えてあったからである。

「どうしたの、その手は?」

 母の滝子は、逆にきめつけた。

「これ? 怪我よ。」

「怪我はわかってるわ。なにいたずらしたの?」

「あら、ミシンを使うのがいたずらなの。へえ、はじめて知ったわ」

 啓子は、まず相手をじらすのである。

「ミシンで指を縫うひとがありますか。みせてごらんなさい」

「見たってわかりゃしないわ。もう、針は抜いちゃったのよ」

 母がきょとんとしているので、

「針が親指へ突き刺さったのよ」

「そんなら、あんた、大変じゃないの」

「そうよ、大変よ。だから、病院で大手術を受けて来たわ」

「当り前に話をしたらどう? そんなに、大袈裟に言わないで……」

「大袈裟になんか言ってやしないわ。とにかく、綾部さんの赤ちゃんに着せてあげようと思って、素敵な型のベビイ服を考案したのよ。だって、出来合はろくなもんないんですもの。それを今日学校から帰って縫いはじめたの。ミシンの具合が、どうも変なのよ。いよいよ襟をつける時だったわ。ぐいと電流を入れた途端に、指がすべったのね、それこそ、からだじゅうがじいんとして、何事が起ったかと思ったわ。左手の親指がもうしびれて動かなくなってるの。でも、アッとかなんとか声を出したんでしょう。君やが駈つけて来て指を外してくれたの。ところが、刺さった針が途中から折れて、尖端の方が裏っ側へ出てるんだけど、引っぱってもなかなか抜けないの」

 母は、そこで思いきり顔をしかめ、眉をすぼめて身震いをした。

 啓子は、すべてが思った通りになるので、さも満足したというように、ひと息ついた。

「田所さんに、見ていただいたの?」

「部長さんは手術で手が放せないんですって……。なんとかいう若いひとがやってくれたわ。あぶなっかしいの」

「誰だろう? 丈の高い人かい? ちょっとスマートな……」

「香水のにおい、ぷんぷんさせてたわ」

「ああ、じゃ、笹島さんだ。あれで秀才だよ、あんた……」

 啓子は、笹島医学士のことにはあんまり興味はなかった。それより早く父のそばへ行きたいのだが、お客はいったい誰なのか?

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月23日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、読者の便宜をはかり、現代かな遣いに改訂しています。
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