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2013年4月26日 (金)

【原文】第8話 志摩家の人々(八)

 啓子が母の瀧子になにか目くばせをした。――いゝのよ、お父さまに喋らしておおきなさいよ。といふ眼つきであつた。

 瀧子も心得顔に笑ひを噛み殺してゐる。

「ぢや、啓子、お母さんの前ではつきり返事をしなさい。これと思ふ人物があつたら、明日にでもお嫁に行くつて……」

「…………」

 啓子は、探るやうな眼つきで、ぢつと父の顔を見つめてゐる。

「どうだ、おい……」

「お父さまがこれとお思ひになる人物は、名門出の秀才なんでせう」

「いや、さうとは限らん。お前がこれと思ふ人物でもかまはんよ。あんまり素性の惡いのは困るが……。大體の撰擇はお前に委せる。たゞいつかみたいに、相手をろくにきゝもしないで、まだ時期が早すぎるとか、結婚つてものはなんだかおそろしいとか、つまらん理由で話をぶちこはしてしまつちや困るからな。もうそんなことはないね」

 父のいふことは尤もであつた。が、彼女としては、ちつとも結婚を急いでゐないことも事實である。現在の境遇は誰にくらべても滿ち足りたものであつたし、月並な戀愛が處女時代の夢を汚すやうに、型通りの結婚が、どつちみち得るものに比して失ふものが多いといふことを、彼女は何時からか信じるやうになつてゐた。

「今急にどうかうと望むわけぢやないが、とにかく、眞面目に考へてみることにしようよ。問題をとりあげてだよ。それだけ約束するね」

 かう眞正面から嘆願するやうに出られては、彼女としてもいやとは云へず、母の方へちらりと笑つてみせたうへ、

「えゝ」

 と返事をした。

「よし、それだけ聞いておけば安心だ。お母さん、今晩は啓坊にご馳走してやつてくれ給へ。あ、それからな、忘れんうちに云つとくが、明日、病院へ電話をかけてね、糸田にこの間命じた書類を早く作つて持つて來いつて……」

 その時、女中が、はひつて来た。

「奥さま、只今若旦那さまからお電話でございまして、伊東からお歸りにこちらへお寄りになるさうでございます。ご夕食を召上るさうでございますが、どういたしませう?」

「あら、困つたね」

 と、うつかり云つて、瀧子は、

「困りもしないか。ぢや、豫定を少し變へよう。蝦はまだあつたらう?」

「はあ、まだ大きいのが三疋も残つてをります」

「ぢや、あたし、今すぐ行くから……。お嫂さまも一緒ね、たしか……」

 と啓子を振り返つた。

「昨日から泊りがけでゴルフなのよ。ドライヴに誘はれたんだけど、あたし行かなかつた、さうさう、歸りがけにでもお見舞をしなけりやつて、お嫂さま、云つてらしつたわ」

「さうよ、もう一と月、顔を見せないんだもの、あの人たち……」

 泰英は、この話には口を挟まうとしない。彼の後繼者は、父博士の望む學校にはひれず、某醫専をやつと卒業してすぐに維納に留学にやらされたのだが、金をかけた論文が遂に今もつて何處をも通過せず、病院の整形外科に醫局員として籍を置いてゐるだけで、醫者は性に合はんと、公然、誰にでも吹聴して歩いてゐる。その代り、自動車の運轉はもちろん、ダンスと寫眞は玄人の域に達してゐるとの評判である。

 

(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月26日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、原文通り、旧かな遣い・旧漢字で表記しています。
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