【原文】第5話 志摩家の人々(五)
別荘は藤澤からバスでいくらもない鎌倉山の、新しく松林を切り開いた眺めのいゝ丘の上に建つてゐた。純日本風の母屋と、離れの洋館とが渡り廊下で繋がり、啓子の父、志摩泰英は、おほかた離れた方にゐつきりで、まだ寝つくほどではないが、近頃は散歩の度数もだんゝ減らしてゐる。
實をいふと、彼は、自分でももう胃癌の兆候を發見し、それを誰にも云はないでゐるだけであつた。
時々、病院の醫者たちが見舞に來るには來るが、別に脈を取るでもなく、「僕のからだは僕が一番よく知つとる」と云はれ、苦笑しながら引き退るやうな始末である。
彼は、かうして、刻々に死の近づくのを待つてゐた。
啓子は、母の顔をみると、いきなり
「お客さま?」
と訊ねた。玄關に靴が揃へてあつたからである。
「どうしたの、その手は?」
母の瀧子は、逆にきめつけた。
「これ? 怪我よ。」
「怪我はわかつてるわ。なにいたづらしたの?」
「あら、ミシンを使ふのがいたづらなの。へえ、はじめて知つたわ」
啓子は、まづ相手をぢらすのである。
「ミシンで指を縫うひとがありますか。みせてごらんなさい」
「見たつてわかりやしないわ。もう、針は抜いちやつたのよ」
母がきよとんとしてゐるので、
「針が拇指へ突き刺さつたのよ」
「そんなら、あんた、大變ぢやないの」
「さうよ、大變よ。だから、病院で大手術を受けて來たわ」
「當り前に話をしたらどう? そんなに、大袈裟に云はないで……」
「大袈裟になんか云つてやしないわ。とにかく、綾部さんの赤ちやんに着せてあげようと思つて、素敵な型のベビイ服を考案したのよ。だつて、出來合はろくなもんないんですもの。それを今日學校から歸つて縫ひはじめたの。ミシンの工合が、どうも變なのよ。いよいよ襟をつける時だつたわ。ぐいと電流を入れた途端に、指がすべつたのね、それこそ、からだぢゆうがぢいんとして、何事が起つたかと思つたわ。左手の拇指がもうしびれて動かなくなつてるの。でも、アツとかなんとか聲を出したんでせう。君やが駈つけて來て指を外してくれたの。ところが、刺さつた針が途中から折れて、尖端の方が裏つ側へ出てるんだけど、引つぱつてもなかゝ抜けないの」
母は、そこで思ひきり顔をしかめ、眉をすぼめて身顫ひをした。
啓子は、すべてが思つた通りになるので、さも満足したといふやうに、ひと息ついた。
「田所さんに、見ていたゞいたの?」
「部長さんは手術で手が放せないんですつて……。なんとかいふ若いひとがやつてくれたわ。あぶなつかしいの」
「誰だらう? 丈の高い人かい? ちょつとスマートな……」
「香水のにほひ、ぷんゝさせてたわ」
「あゝ、ぢや、笹島さんだ。あれで秀才だよ、あんた……」
啓子は、笹島醫學士のことにはあんまり興味はなかつた。それより早く父のそばへ行きたいのだが、お客はいつたい誰なのか?
(初出:「東京朝日新聞」, 1938年4月23日, 朝刊 岸田國士『暖流』)
※このページでは、原文通り、旧かな遣い・旧漢字で表記しています。
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